跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/08 BGM: Phil Collins - Another Day in Paradise

今日は休みだった。ここ最近は読書は再び村上春樹の本を素朴に読むスタイルに戻りつつある。今日は『村上春樹雑文集』を読んだ。この本の中で、カルトによって閉鎖的な環境に置かれながら隠し持っていた『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでシビアな状況を乗り越えた人物の話に興味を惹かれる。私自身も――繰り返しこの日記で書いてきたが――今になって思い返してあれは「洗脳」だったのかもしれないと思う出来事を潜ってきた(とはいえ、私の場合は自らその環境に適応しようとさえしたわけだが)。ただ私の場合、「これはおかしい」と思う勘が働き結局今までこの世界に自分をつなぎ止めることに成功してきた。それは闇雲に、ガツガツ貪るように読み漁ってきた小説作品が自分の中でバランサーとして働いてきたからかもしれないと思う。そうした小説作品はずっと、この世界に留まり続けてそこで生きる糧とでも呼べるものを見出すことを教えてくれたと思っている。これからだってそうだろう。

たまたまイオンで見かけた「いのちの電話」の電話番号に、過去の私自身の記憶を想起する。私自身大学生の時に周囲に親戚もいなかったので(ただ兄は東京に住んでいたので、今になって思えばその兄に相談すればよかったと後悔する)、その「いのちの電話」に何度も電話をしたものだ。とはいえ当時から酒を呑み、酔っ払って電話をしたので相手もすこぶる迷惑だったに違いない。そのことを恥じる。そして、その時期も含めて過去に何度も「ああ、これからどうしよう」と先行きがまったく見えないどん底を生きてきたことを思い出す。そんな時、私はとりあえず自分を癒すために本を読んできたように思う。村上春樹を読み、フランクル『夜と霧』を読み……そうして過ごしていれば、不思議と打開策を見い出せるかあるいは状況が変化するかして乗り越えられたものだ。もしくはすでに自分の中にある答えを選ぶ勇気が出てくるか。それもまた、私のこの人生が教えてくれた教訓としてある。

春樹『村上ラヂオ2』で春樹は自分の20代について語っている。私は自分の20代について考える。「ロクでもない時期だった」としか言いようがない。春樹自身も別の本で記しているオウム真理教事件が起こり、私も上に書いたように「正気を保つにはどうしたらいいか」ということを考えさせられた。私は決して「落ち着き」「不動心」を勝ち取った人間ではありえない。最近だってワクチン絡みで陰謀論に巻き込まれそうになったし、飲酒に溺れていた時期にしても妄想が働き「酒は百薬の長」と信じようとしていた。そう思えば、自分に20代があったとすればそれはとことん孤独に自分と向かい合って過ごした時期、そこから自分なりの「信心」「ポリシー」を探した時期なのかもしれないと思った。結局私が見つけたのは春樹が語る「小確幸」を重んじる姿勢であり、ガツガツした生き方だけが人生ではないとするアナーキーな生き方であった。今もそのアナーキーな「信心」は活きている。

夜、断酒会に行く。そこで自分自身の抱えている「心のゴミ」を語ってしまう。パソコンがもう限界だということや、花粉症ではないのだけれど「春眠暁を覚えず」でひどく眠くなることなどなど。他の方からこの日記について触れられて、改めて「読まれているのだな」と思いありがたみを感じた。過去に私は、承認欲求からアクセス数に一喜一憂する暮らしをしていた。だが断酒会に参加させてもらうようになり、そこで体験談を語る生活を始めたことでそうした欲求はびっくりするほど薄れたように思う。もちろん読まれないよりは読まれた方が嬉しいけれど、少数であるとしても信頼できる方に確実に伝わっている手応えがある今の状態を蔑ろにしたくない。はてなブックマークに登録されてホットエントリに持っていかれることを夢見たこともあったけれど、今はそうしたねじれた欲はない。今の「小確幸」に満ちた生活をやすやすと手放したくないと思いつつこの日記を続けている。