今日は発達障害を考えるミーティングの日だった。私は自分自身のこの日記について話した。去年の5月末からつけ始めたこの日記もおよそ1年続いたことになる。そもそもどうしてウェブ/ネットで日記を始めようと思ったのか。1999年に初めてウェブ日記を始めてしかしそれが続かなかったこと。何度もやってみてダメなまま時間が過ぎて、40歳の時に大事な人たちと出会って自分の英語に自信がついて、やっと自分の書くものを自分で認められるようになったこと。そんなことを話した。うまく行ったと思う。他の方からも好評だったようでありがたく思った。
他の方からも面白い話が語られた。とある方が、入院生活を繰り返して日々の生活に喜びを感じられるようになったことを話された。私は私自身が酒に溺れていた日々を振り返ってしまった。私の酒は偏頭痛で倒れたことで止まったので、自力で止められたわけではまったくありえない。だが、その「幸運」を活かして断酒会と繋がり、断酒生活を始めて今がある。つらい出来事は人生において起こりうるものだけれど、その出来事をどう活かすかはその人に委ねられている。そんなことを思った。本当にこのミーティングに出会えてよかったと思った。
ミーティングの後、グループホームの施設長と会う。そこでお金の使い方について話し合う。お金の使い方を徹底して「見える化」し、1日に使えるお金の額を計算する。つらい作業だった。自分がどう無駄遣いをしているか、どんな甘い概算でお金を使ってきたかわかったからだ。だが、施設長と話し合って現実的な方策を見つけられたことで、これからの生活に活かせそうに思った。ただ、私はどうしても依存症ゆえの「やめられない止まらない」がある。LINEで施設長や他のスタッフの方と相談する関係性をもっと濃いものにして、相談回数を増やそうと思った。
夜、アントン・コービンの映画『コントロール』を観る。ジョイ・ディヴィジョンの中心人物であるイアン・カーティスの青春を綴った映画だ。私はジョイ・ディヴィジョンの音楽を後追いで聴いてきた。この映画で語られるイアンの姿で印象的だったのは、彼が汗だくになってステージで歌い踊ることだ。ジョイ・ディヴィジョンの音楽は「熱い」ものだったのだなと思った。「熱い」シャウトとダンス。イアンは自らの人生を自分自身の手で閉じたわけだけれど、今生きていればどんなロックスターになっていたのだろう、と想像が広がる。ルー・リードのようなふてぶてしいスターになっていたのだろうか?