跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/26 BGM: RHYMESTER - 東京、東京

今日は昼にコーヒーを飲みすぎたせいか、夜に仕事をしていて気分が悪くなった。それもあってか「疲れた」「もう帰らせてもらおう」とまで思いつめたのだけれど、上司に何と言っていいかわからなかったので(きみは上司に「コーヒーを飲みすぎて死にそうなので帰ります」と言えるかい?)「だましだまし」で仕事をした……ぼくはけっして強い人間ではない。過去にずっと希死念慮、つまり「死にたい」という気持ちと戦い続けてきたこともあってか(そして実際に、ぼくは死のうとしたこともあった)、今でも「もうあきらめよう」という気持ちを感じることがある。だけど、ぼくは仕事をする上で「なにはともあれ、やれるだけのことをやる」「やるべきことをやる」という精神を学んできたと思う。やる気がないならなくていい。ただ、淡々と与えられた場所で与えられた機会に与えられた仕事をこなす。そうしていると、その仕事が自分を上向けてくれる。やる気はやっているうちに自ずと自分の内から湧き出る……コーヒーが身体から抜けてくれたのか、最後の方は気分もよくなっていつものように仕事をこなすことができたと思った。ああ、自画自賛

毎週木曜日にぼくが楽しませてもらっているミーティングで、ぼくがプレゼンをする番が近づいてきた。これまでいろんなことを話してきた。ぼく自身の発達障害のことやアルコール依存症村上春樹アフォリズム、はたまた敬愛するブルース・スプリングスティーンの曲「ボーン・イン・ザ・USA」について……さすがにぼくの中の持ちネタも尽きたのだけれど、次の機会はぼく自身の東京に関する思い出話を語れたらいいかなと思い始めた。10代の頃、この宍粟市で密かに渋谷系の音楽を聴いたり創刊されたばかりの『クイック・ジャパン』を買い求めたりして東京生活に憧れを抱いたこと。そしてその後、気まぐれに受けた早稲田大学になぜか受かってしまったことからその東京生活をエンジョイする夢は実現したのだった。だけどその東京生活は(まだその当時はぼく自身の発達障害のことをわかっていなかったこともあって)決してバラ色ではなかったのだった……ガールフレンドもできなかったしバイトも見つけられなかったし、おかげでずいぶん鬱と無気力に苦しむ毎日を送ったりした。そんなことをライムスターを聴きながら回想したりした(ここのところこんなふうに過去を思い返すことが増えてきたなと思う)。

そんなふうに東京生活を素直にエンジョイできなかったのは、1つにはぼくが心の奥深くで「自分はしょせん田舎者だ」「ダサい人間だ」と根深い劣等感を抱いていたからというのもあったろう……もっと言えばぼくは十代はずっと「非モテ」で「オタク」で「ネクラ」な人間だったので、教室という狭いソサエティ/コミュニティの片隅で死んだふりをして本を読んで、目立つことなく過ごしていた。それを思えば今は(毎度のことながら書いてしまうが)いい時代になったと言えるかもしれない。今は趣味を同じくする人間と気軽に出会える。ぼくが宍粟市で高校生活を過ごしていた頃、周囲にはフリッパーズ・ギター村上春樹を通して話を弾ませられる人なんていなかった。そんなこともあって、ぼくは当時闇雲に自分の関心をオタッキーに掘り下げてセンスを磨いていた(我ながらほんとうにスノッブだったなあ、とあきれてしまう)。だけど今はぼくはDiscordなどで話を合わせられる人を見つけられる。ああ、こんなふうにして時代というものは変わるのだなと思った。時代が変われば社会も変わる。世界そのものも変わる。価値観だって変わる……諸行無常エナジーフロー。

そしてその木曜日のミーティングで、別の方がミーティングのトピックとして「コロナが収束して360度変わったこととは?」というお題を提示しておられた(この「360度」にニヤリとしてしまった)。コロナは収束したのか……いったい何だったのか、あの日々は。今ではすっかりZOOMを使ったオンラインミーティングの参加にも慣れてしまった(でも、今でも同じ画面をじっと見つめ続けるのは集中力が持たなくて疲れてしまう)。あとはぼくはコロナ禍が始まった頃に英語であれこれメモを書くようになって、それが今でも続いている。この日記だってコロナ禍の最中に始めて今に至る……これらに共通点があるとすれば、それはリアルで満足に人と会って話したいニーズを満たせられなかったから、それで余計にあれこれ試行錯誤して人とコンタクトを取って日本語や英語でコミュニケーションをしようと試みてきたということになるだろう。ぼくが今のようにDiscordに深入りして、自分のサーバまで立てて活動するようになったのもコロナ禍と決して無関係ではないと思う。確かにその意味では「360度」ぼくの信条は変わったのかもしれないと思った。