跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/22 BGM: U2 - Babyface

坂口恭平は自分自身の鬱から立ち直ったきっかけとなった作業として、自分の中にある心象風景をスケッチしたことを挙げている。自分の中にあった砂漠をそのまま描写することに努めた、と……それは結果として小説になったのだという。私も同じことをやってみようと思い、今日ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』の向こうを張ったものを書くべくあれこれ試みた。だが、うまくいかなかった。自分には小説は無理なのか……今日は休みだったのだけれど、この日記も休んでしまおうかと思った。そんなこともあってもいい、と自分に言い聞かせる。今まで続いたことが奇跡だと。だが、結局書き記してしまった。休まなければならない、と自分に言い聞かせる。思っている以上に自分は疲れていて、疲れすぎているから休むのが怖いのだ。

結局日記を更新し……たくさんの方からまた、ていねいなメッセージをいただいた。実にうれしいことだ。私自身は(この日記が教えるように)けっして強い人間でもなければ特別な人間でもなく、ただの弱っちい、そして揺さぶられやすい人間だと思う。その弱さを、ある時から私は押し出すようにし始めた。酒を呑めない依存症体質であること、発達障害者であること、もしかしたらHSPかもしれないこと……だが、「弱い自分はその弱さゆえに特別だ」とまでは言わないように心がけることも忘れず(それは結局結論だけ言えば「私は特別だから敬え」と言っているのと同じだ)。そうすることが良かったのだろう。私のところにほんとうに信頼できる友だちが集まるようになった。リアルで、Discordで、その他のソーシャルメディアで……それが自分にはそれこそ奇跡のようなことだと思う。

休まないといけないと思ったのだけれど、ではどうしていいかわからない。イオンではフリーマーケットが行われていたが、私はそれには行かず部屋でただぼんやりくつろいでいた。本なんて読めるわけもない(活字が「固く」感じられ、読むだけであくびが止まらなくなってしまった)。チャットをしようにも友だちがオンライン状態ではなかったので、それもまた一興と思いダラダラと時間を費やす。そんな日があってもいい……休める時に休むのも仕事をする上で、あるいは幸せに生きていく上で大事な生活の基礎だ。Discordの自分のサーバでつぶやきを書き留める。そして4時に、約束していた方と西光寺でお会いする。その方に自分自身のことを話した。その方は住職なので、私が抱えている問題も縮めて言えば「煩悩」の話として理解されるのではないかと思って……。

その方とお話しすることはいつも私の中で「癒し」になっているのだけれど、今回のお話もまた「癒し」として受け取れた。自分自身がこんなに混乱した状態にあっても心の拠りどころとなる事柄(時間や空間、行動など)を大事にすることを諭された。そして、変化していく自分、あるいは揺さぶられさえする自分自身を観察していくこと。私は上に書いたような「煩悩」から逃げられないが、ならばその自分を「あるがまま」に受け容れること、そう試みることを教えられたと思う。そうすれば悩みは消えるというか、自分自身と同化していくのではないか……こんな難しい問題をダイレクトにぶつけても逃げたり笑い飛ばしたりせずに受け容れて下さったこと、そのこともコメントと同じくらいありがたいことだ。その後、Discordでもまた「日記の更新間隔が空いても構いません」というメッセージをいただく。ああ、なんという幸せ。それにひきかえ、私自身は今日何度「もうギブアップ」とつぶやいたことか。