跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/18 BGM: Primal Scream - Loaded

今日は休みだった。朝、朝活の一環としてイオンに行く。そこで自分の中の思いをメモパッドに書き出す。自分がとある女性に惹かれ、その白昼夢のような思いに振り回されているということ……そしてそこから、自分の中にあるいくつかの人格の不協和に悩んでいるということを書き出す。グループホームの部屋の中にいる時の自分、会社での自分、私生活での自分。大元にあるのはこの不協和だと思う。ならばこれらを統合することはできるのだろうか。それともそんなことを夢見ることは現実的ではないのだろうか。本当の自分自身を私は知っている。ずるくて、エッチで、歪んでいる自分自身。だけどそんな私は外に出ると外面のいい自分として振る舞うので、人は褒めてくれる。そんな二面性から来る罪悪感に自分は悩んでいる。そんなことがメモパッドに書き出した悩みから見えてきた。それについてDiscordで友だちに相談し、また信頼できるリアルの友だちにメールを書く。そうすると1人から返事が届いた。その返事について自分なりに考える。もちろん、そうしたレスポンスに感謝を抱く。

昼寝をした後もそのことを考える。自分が日本語で書いた件のメールを英訳し、MeWeでつながったある方にメールを送る。かなりダーティなことも明かしてしまった……この歳までロマンスや色恋沙汰にまつわる経験を持たないこと、それゆえに女性に対してずいぶん歪んだ幻想を抱いていること。午前中にいただいた返事から思ったのは、自分自身の身体を鍛えるのが意外と早道かもしれないということだった。フィジカルな運動で自分自身の身体の存在を確かめることはこの自分に自信を持つこと、1人しか居ない自分を捕まえることに役立つのではないかと思ったのだ。そして、こうしたつながりを改めて嬉しいと思った。何がきっかけでDiscordを使い始めたか思い出せないが、確実に自分とこうしてせせこましい利害関係を超えたつながりが存在し、それが自分に好意として現れる。リアルでも自分はそうした人間関係に助けられているし、過去にあんなに嫌われたのが嘘のように思う。

その後図書館に行き、多和田葉子『言葉と歩く日記』を借りて読む。この本を私は好んで読んできたが、今回の読書でも学びがあった。単一の言葉にとらわれず複数の言葉の中を生きてみること(多和田がそうしているように)が、1つしかないと思っていた物の見方に別の見方を付け加えてくれること。そこから、時に矛盾する物の見方を学び自分の中でそれについて考える契機が生まれうる。自分の頭で考え抜くこと、学ぶことや考えることを決して止めてはならないこと。それを止めてしまい、上からあるいは外からの命令・指示に唯唯諾諾と従う機械になってしまった時に人はまさにアイヒマンのような「悪」を結果としてなしうる。ならば自分が英語を学びこうして書くこともそうした、「悪」に対抗するためのアクティビティの一環なのかもしれないなと思った。学び続け、自分自身のアンテナを研ぎ澄まし世界に対して自分を開き続けることの大事さについて改めて考える契機を得られた。

そんな風に多和田葉子の本を読んだからなのか、まさに多和田的な「日本語の気付き」を1つ得た。とあるサイトを紹介した日本語の文で、「このサイトを眺めていると時間が溶ける」という表現と出くわしたのだ。「時間が溶ける」とはまたユニークな表現だ。「資産が溶ける」「お金が溶ける」という表現の延長上にあるものだろう。一瞬に感じられるほど夢中になって何かを費やすことを「溶かす」とネットでは表現するが、「時間」もまたそうした「溶かす」「溶ける」ものになったのだなと思った。そんなことを考えていると自分自身が感じていた不協和について重荷に感じる心理も和らいだ。まったく、自分とは実にイージーゴーイングな存在だ……こうして自分の中から自然に湧き上がる言葉を眺めて、私は改めてそれらから「自己嫌悪」や「自虐」が消えてきたことに気づく。自動的に自分をいたわる言葉、自分を褒める言葉が出てくるようになったのも成長なのかなとも思う……やれやれ、また「自分スゴイ」「自分バンザイ」な日記になってしまっている。