2022/07/23

BGM: Scritti Politti "Anomie & Bonhomie"

今朝はとても爽やかな朝だった。ああ、いつも書いていることだけど、こんな爽やかな日を迎えると私は酒に溺れていた自分自身の若き日のことを振り返ってしまう。車を運転できないので休みの日はどこにも行くことができず、金もないので暇を持て余して安酒を買ってそれを呑んで、ただひたすら酔いつぶれて眠りこけていた日々のことだ。ああ、酒で死にたいとすら思った日々。今、私はパット・メセニーの音楽を聞きながらシラフで過ごせている。この平々凡々な事実の中にこそありがたみと幸せが眠っていることを感じられる。

多和田葉子『献灯使』を読み終える。多和田葉子の小説からはいつもチャーミングというかファニーな、ユーモアと戦慄が混ざりあったような面白さを感じる。だが、「献灯使」からは懐かしさを感じた。確かにこの光景をどこかで見たな、という。老人が若者を介護する倒錯した作中の光景に「今」を見出してしまった。3.11を経由し、そしてコロナ禍で痛めつけられた私たち日本人の縮図がここに描かれているように思われたのだ。その意味で、今もっともヴィヴィッドな小説のひとつではないかと思われた。生々しいディストピアがここにある。

私が関わっている発達障害に関連したクローズドなグループで、知人がLINEメッセージを寄せて下さった。私たちのつながりは「自分がしっかりしないといけないと思っている」という共通点がある、というものだった。確かに私自身も「最終的には自分が決める」という自己決定と自己責任原則の大事さをこのグループから学んだように思った。セルフヘルプ/自助努力、自分で自分を救い自分の責任で動くこと。しかしそれは信頼できる人間関係がセーフティネットとなって支えてくれるからこそできることだ。このグループはそうしたセーフティネットとして私を支えて下さっている。これもまた、ありがたいことだ。

多和田葉子『献灯使』が面白かったので、彼女のエッセイ『エクソフォニー』を読み返してみたいと思うようになった。そして、彼女のように日々英語や日本語でDiscordやWhatsAppで発信する過程で得た気付きを日記というかメモとして残すのもいいかなと思い始めた。過去に友人から「あなたは語学はできないのですか」と言われて「できるわけないだろう。留学経験なんてないんだから」と絶望的な気分で否定してしまったことを思い出す。その頃は今のように英語で発信するとは思いもよらなかった。かけらも思わなかった。ああ、人はこんな風にして翻身し、変化していく……。