今日は遅番だった。朝、混乱してしまった。いつものことではあるのだが、今朝もひどく取り乱してしまいDiscordのサーバで思いを吐き出してしまい、友だちを振り回してしまった……今日は仕事なんてできないと思い、そのまま寝て過ごそうかとさえ思った。だがともかくもイオンまで行き、そこでメモパッドを広げて自分の思いを書き出す。すると、混乱していた感情が落ち着くのを感じた。馴染みのある安心感が湧いてきた……書き出すことがどうして自分を安心させるのかわからない。解決策が見えたわけではなかったのだが、自分の中から湧いてくる言葉、動くペンを眺めているだけで心が平静さを取り戻すのを感じた。道が見えたような気がした。だが、それは正解ではないかもしれない。いったい何が解決になりうるのかわからない。ともあれ、今日も仕事をこなすことができた。
その悩みについて、自分の中で悶々とするのに限界を感じLINEで知人にメッセージを送る。MeWeやDiscordでも信頼できる人にメッセージを送り、頼ることを試みる。今日は悩みを書き出す時間がないのでまたいずれ、ゆっくり考えよう……自分の中で常日頃感じている不協和がテーマになるだろう、と思った。私の中には実にたくさんの私が居る。職場で相変わらず浮いた「変な人」扱いされている私。私生活で英語を使いこなして国内や海外の友だちとコミュニケーションを楽しむ私。そしてエッチなことで頭がいっぱいで毎日その夢想に苦しめられている私。あるいは読書好きで思索を好む私……そんな多様・多彩な人格が私の中に存在している。そしてそれはここにきて、統合されることなく不協和を生み出している。矛盾や破綻を来している。それはでも、人間として自然なことなのか……そんなことを考えたのだった。
そんな自分自身の人格の統合について考えたのは、オードリー・タンについて書かれた本『何もない空間が価値を産む』を読んだことがきっかけだった。オードリー・タンも、自分自身に内在するアイデンティティの分裂に苦しんだことを語っていた。彼女は自己同一性にこだわらない姿勢を見せている。「これが私」と語ることは必然的に、そこに内包されないものを「排除」してしまうことにつながる。彼女のおおらかさはそうした「排除」の姿勢となじまない。だが、私はそこまでおおらかにはなれない。私は自分自身にある「ずるさ」や「エッチな感情」を許せないでいる。だが、そうした感情を持つ自分自身もまた自分と認めていくことが成長につながるのかな、とも思う。ともあれ、これに関しては他の方からのアドバイスを確認してからでも遅くはないだろう。拙速な判断は自滅につながる。
母の日が近づいている。私自身のことを考えた。オードリー・タンが自身の成育歴について語っているのを読んだこともあって……私はほんとうに育てにくい子どもだったと思うのだけれど、両親はこんな私をねばり強く育ててくれた。愛情を以て……そのことに改めて感謝したいと思ったのだった。ああ、過去に両親を毒親だと信じていた時期があったことを思い出す。バカなことをしたものだ。私はそうした愛情の結晶としてこの世にある。両親のみならず、私はさまざまな方々の愛情に支えられている。リアルで、DiscordやMeWeやその他のネットワークで……その事実に感謝が尽きない。ああ、発達障害がこんなにホットな話題になる時代が来るとは思わなかった。それを思えば、未来というのは決して暗いものではないのかもしれないとも思う。それは今の自分の行動によって左右されるものなのかもしれない。今、どう行動するかが未来を決める……。