跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/15 BGM: Aphex Twin - Windowlicker

今週のお題「変わった」

今日は早番だった。戯れに過去の日記を読み返してみる。そして、自分自身の何が変化したか考える。どうせならずっと昔に遡ってみよう。10年ほど前、人生にとことん絶望していた頃……あの頃私は毎日、仕事が終わると一目散に近所のスーパーマーケットに行き酒を買い求めて、その酒を文字通り頭から浴びるように呑んで過ごしていた。思うことと言えばただ「生まれてくるべきではなかった」「生まれる時代を間違えた」「もう死にたい」「今日も何もできずに終わる」といったことばかりで……文字通り私は酒を呑んだくれる以外何もせず、そんな20年間(!)を過ごしたのである。もしかしたらそんな日々の中でも野心を持ち「いつかもっとデカい人間になってやるんだ」くらいのことは思ったかもしれないけれど、でもそんな思いを実現に至らしめるためのことなんて何もしていなかった。ああ、悲しい時期を過ごしたものだ。あの時代を英語の勉強に費やしていたら……と考えても今更どうしようもないのだけど。

酒を抜こうと思った理由は、日々カツカツの生活をしていたことから酒を止めたら金が浮くと思ったことと、あとは呑んだくれて自分自身を痛めつけるだけの生活に自己嫌悪を感じたことからでもある。つまりは何ら高尚な動機があったからというわけではなかったのだった。断酒会に入会させてもらって本格的に断酒を始めた頃は、そんな新生活に恐怖さえ感じたものだ。それまでの私にとって酒はまさにお守りだった。あるいはガソリンだったと言ってもいい。身体や心に確実に悪影響を及ぼしていたとはいえ、酒がなければ私は一歩も動けなかった。そこから「生きがい」である酒を抜くということは自分自身が空っぽになってしまうということでもある。あるいは信じていた神様がいなくなるような変化と言ってもいいのかもしれない。これから何を頼って生きていけばいいのだろう、そんな生活に自分が耐えられるのだろうか、と不安が膨らんだものだ。どうなってしまうのか、まったくもってわからなかった。

結局断酒会に通い始めてさまざまな先輩方に導かれて……そして歩き始めるうちに私は酒抜きで生きることに確かな喜びを感じるようになった。それまで酒がないとご飯さえ満足に食べられなかった自分がいた。酒がご飯を美味しくさせると思っていたのだった(あるいは、酒さえあればご飯はいらないとも思っていた)。だが、シラフで食べるご飯は実に旨いことに気づく(ことに、今住まわせてもらっているグループホームの食事は旨い!)。そしてクリアに回る頭で本に浸り、あるいは映画や音楽に親しむ生活に慣れるようになり、それまでただ死ぬほど退屈だとばかり思っていたシラフの健全な生活に改めて喜びを見出すようになったのだった。その後ひょんなことから早稲田で英文学を学んだ過去を思い出し、「昔とった杵柄」「下手の横好き」で英語を学び直すことになるのだが、これも断酒していなければ実現しなかったことだろう。それを思うと自分自身の運命や人生の不思議について考えさせられる。

そして、これもまた成り行きで英語で日記を書いたりDiscordで英語でチャットを行ったりするようになった。あるいは発達障害について学び直し、その障害が縁で生まれた友情を満喫するようになり……今はシラフで生きられること、クリアに回る頭でこうして何かを書いたり読んだりといった楽しみを味わえる。それがほんとうに嬉しい。英語で表現するようになって改めて自分の中のタフさ、クールさを知るようにもなり……思えば英語で表現することもまた私自身を変化させた。それについてはまた別の機会に書くかもしれない。普段はエッチなことで頭がいっぱいな私が、しかし英語で人とチャットをするようになると別の人格を働かせ始めてしまい、結果として(決して私が偉いとかすごいとかそういうわけでもないとも、この私のすべてを知っている私自身は思うのだけれど)人から好かれてしまう。それもまた、私にとってはこの世界に確固として存在しているエニグマなのだった……。