跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/02 BGM: Ryuichi Sakamoto - Undercooled

体温は35.7℃。昨日の夜、Discordで「無人島レコード」について考えた。これは「無人島に持っていくレコードは何か」という古典的なもので、私の場合今の気分で言えば坂本龍一とフェネスの共作『condre』やエイフェックス・ツイン『Selected Ambient Works Volume 2』などを挙げるかもしれない。ブライアン・イーノも捨てがたいし(いや、イーノはもっと都会的な環境で聞くべきかもしれないが)、リトル・テンポ『Ron Riddim』を選びたくなってしまいもする。「無人島レコード」にせよ「無人島の本」にせよ、実際に無人島に行くわけでもないのにこういうセレクションを考えるというのも酔狂な話ではあるのだけれど考えてみると結構楽しい。本で選ぶとするなら今の気持ちに則れば村上春樹『遠い太鼓』か沢木耕太郎旅行記、あるいは十河進のコラムということになるのだろうなと思い「結局どこに行っても同じような本を読むのだな」と自分の頑迷さに呆れてしまったのだった。

そんなわけで朝、そうした「無人島レコード」について考えていたのが祟ったのか仕事でミスをしてしまう。出勤時刻を間違えてしまうというもので、もちろん恥ずかしいのだけれどこれもまた発達障害の為せる技ということなので自分のタスク管理のなってなさを反省する。自分は結局のところ一生この発達障害と向き合う必要があるのだから、せめてこうしてシェアできることはシェアして「発達障害者の一例」として知ってもらうことが世のため人のためになるのかな、と思ったりもする。まったく、自分は成長しているのかしていないのか……今の職場では今日みたいな「世界自閉症啓発デー」に関してもぜんぜん話題にはならないし、発達障害のこともどこ吹く風といった感じで改めて「私を取り巻く世間の常識」と「会社の常識」が異なるのを感じる。正直なところそのせいで頭がおかしくなるのではないかとも思ったりする。まあ、それが世界の実相というやつなのだろう。

相変わらず「いつか自分の人生も終わる」と思いながら生きているのだけれど、最近読んだ瀬戸内寂聴の言葉だったか「自分は生かされている」という考え方がヒントにならないかと感じ始めている。つまり、「いつ死んでもおかしくない」という事実が端的にここにあり、そして「とりあえず自分は死んでいない」という事実も共存している。それは「とりあえず自分は『生かされて』ある」のだから「生かされている限りは生きて、そこから何らかの意味を引き出す」というように発想を転換できないかと思い始めたのだ。いや、これが「効く」考え方なのかどうなのかはわからないけれどそれでも私は自分が生きていることに申し訳なく思う必要もなければ不条理なことと嘆く必要もないのだな、と思うようになれるのかと思う。生きていることがそのまま生の喜びを堪能することにつながればいいな、と思う。

夜、とあるZOOMでのミーティングに参加する。私のケアレスミスで一時間ほど遅刻して参加してしまい大恥をかいたのだけれど、ホストや他の方が暖かく迎えて下さったので楽しむことができた。英語関係のミーティングだったのだけれどぜんぜん聞き取れず、リスニング力を鍛えることの必然性を理解する。その時、ニュース速報で坂本龍一の逝去のニュースを知る。私が物心ついた時はもうYMOは存在せず(一時期再結成されたことが話題になったりしていたのは覚えているが)、彼はすでに日本を離れた国際的なミュージシャンとして存在していた。それゆえに近寄り難く思っていたのだけれど、彼のエッセイなどを読むにつれて親しみを感じるようになり音楽も少しずつ掘り下げていくようになった。彼の考え方にすべて賛同するわけではない。矛盾もあり、乱暴なところも多々あった人だと思う。だがそれを踏まえてもなお見るべき知性を備えていた人として私は彼を評価する。合掌。