上原隆『「普通の人」の哲学』を読む。この本はここ最近私が熱心に読んでいる思想家・鶴見俊輔に関する本で、彼の思想を解説する傍ら著者自身の生活から体得した生活術を開陳したものとなっている。私はまだそんなに鶴見俊輔の思想を読み込んでいないのでわからないところも多々あるが(だからこの本から学ぼうと思ったのだが)、鶴見の思想は彼が練った理屈をそのまま学ぶ類のものではないと思う。ウィトゲンシュタインと同じように、むしろ彼の考え方というか考える技法を学ぶものではないかと思った(むろんウィトゲンシュタインと鶴見は似ても似つかないことはわかっている)。つまり作風ではなく文体を学ぶ本、という。
鶴見は戦時中、あんなに日本人が好戦的になってしまいおかしくなった時も「殺さない」ことを自分に課した。そして実際に正気を保ち続け、残虐な行為とは無縁に戦争を過ごした。まともな感覚を保ち続け、本能的に自分の思想を生きること。反射神経を研ぎ澄ませ、いざという時に身体を動かすこと(例えば喧嘩を見つけたら、御託を並べるのではなく実際に割って入るというように)。これは、「頭だけではなく身体で自分の思想を練り上げ、それに準じて生きる」ことを考えている私には極めてタイムリーな思想である。だから上原のこの本からも私は多くを学んだ。
今日は発達障害を考えるミーティングの日だった。ZOOMを使ってオンラインで集う。そこで各参加者が自分の話したいテーマを持ち寄り、意見を出し合う。私はアルコール依存症について話した。アルコール依存症を生きるということは、上に書いたことをなぞるならアルコールをどうしても欲してしまう身体を引きずって生きることだ。依存はよくない、と頭でわかっていても身体がアルコールを渇望することはやめられない。できることはアルコールに近寄らず、その代わりになるものを探すしかない(別にひとつだけでなくとも、様々な依存対象になりうるものを見つければいいのだ)。
上原の本とこのミーティングは、同じことを私に伝えているように思った。発達障害から来る困り感は、「だらしない」とか「杜撰」とかいった形で本人の性格に帰すればいいものではない。つまり、理屈を連ねて頭ごなしに説得すれば解決するものではない。本人も発達障害から起因する二次障害に困っている(時間を守れない、タスク管理ができない、など)。本人が「腑に落ちる」、言い換えれば身体で納得する形で根本的な解決を計ること。その根本的な解決の手段を上原は「生活術」と呼んでいる。「腑に落ちる」解決策を見つける試行錯誤の大事さについて学んだように思った。それにはまずなによりも、自分をごまかさずに見つめる勇気がなければならない。ミーティングで、そんな勇気を(改めて)もらったと思う。