今日は久しぶりに本を読んだ。阿部昭『単純な生活』という小説だ。シカゴ音響派のシー・アンド・ケイクの音楽を聴きながら読む。実を言うと(毎朝のことなのだけれど)仕事に行きたくないとか気分が乗らないとか、そんなネガティブなことを考え込んでいたのだけれど今日は天気も良かったこともあって、この素晴らしい小説を読んでいたら心が落ち着いた。著者が私と同じ40代半ばに差し掛かった時に記された私小説的な作品で、随所に中年の悲哀が感じられる。私もこの歳になって「自分の人生は何だったんだろう」と振り返ることが多くなったから、今回の読書は心に沁みた。
生きてみないとわからないことがあまりにも多いことに気づかされる。かつては、この歳になるといろんなことができなくなり諦めながら生きなければならないと思い込んでいた。若いうちが華なのだと……映画『フォレスト・ガンプ』を思い出す。人生とはチョコレートの箱のようなもので、開けなければ中身がわからない、とあの映画では話されていたのではなかったか。いや「当たり前」ではあるのだけれど、この歳までシラフを貫いてページを丁寧にめくるように過ごしてみるとその言葉が身に沁みる。生きれば生きるほど過去にやったことが今に生き、未来を作り出す。
私の人生の格律を作り出したのはフィッシュマンズの音楽だったと思っているのだけれど、彼らが「死ぬほど楽しい毎日なんて/まっぴらゴメンだよ」と歌っている。この気持ちについてふと思い出した。私も、何かしらドッカーンと楽しいこと、幸せなことが起こればいいなんてことは望んでいない。ただぼんやり、ほんのり楽しいことがあればいいなと思って、その「ぬるま湯」の幸せを楽しみたいなと思っているのだった。今日阿部昭の小説を読んで、そこに書かれているごく「ぬるま湯」のような毎日の幸せに共感を感じた。いや、人によってはワールドカップの勝利の美酒に酔いたい人もいるのだろうから、それをバカにするつもりは毛頭ない。
今日、仕事をしていて職場をすでに去られた先輩にお会いした。その方はもう80を過ぎ90に近くなられていたが、お元気そうだった。その方の指導を受けて右も左も分からないまま必死に働いたのが20年前。そんな時代があった……ああ、仕事をこなした後、ストレス発散のためにやけ酒を煽り、酔いどれ詩人を気取って生きていた日々があった。今はもっと地味に生きていきたいと思っている。目立たなくてもいい。ただ、日々自分の責務を淡々とこなす。そしてその過程を味わう。今日の陽光の輝きや暖かさ、阿部昭の文章の渋味を味わい、そうしてこれからも生きていきたい。