跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/07/02

今日が私の46歳最後の日ということになる。46歳……中上健次カミュはこの年齢で逝った。彼らは綺羅星のような作品を残した。私は何も残していない。ただ、馬齢を重ねてしまった。とは言え、生きているということはいいことだ。この歳まで生きて、「身体で」そう感じるようになった。坂本龍一の音楽、特に「energy flow」や「戦場のメリークリスマス」を聴きながら1人で感傷に浸る。彼が「ぼくはあと何回、 満月を見るだろう」と問うていることを踏まえて、私もあとどれくらい生きて、どんな風景を見ることになるのか考える。

今日は仕事だった。昼休み、スチャダラパーサマージャム'95」を聴く。夏になればこの曲が欠かせない。この曲を聴くと、ざる蕎麦や冷奴を食べたくなる。海やプールに行きたくなる。図書館でひと時涼みたくなる……贅沢ではないかもしれないが、至福のひと時が味わえるクラシックな曲だ。1995年、この曲とともに自分の人生があった。でも、中島義道に倣って「本当にそんな時代があったのだろうか」と哲学的に考えてみたくもなる。ラッセルだったか、「私たちの世界は5分前に作られたかりそめのものに過ぎなかったのではないか」と問うたのは……。

夕方、グループホーム世話人の方と話をする。明日、私が誕生日を迎えることを話すと祝って下さった。私の同級生がどんな風に今を過ごしているか、話をして下さる。みんなそれぞれの道を見つけて活躍しているという。私もまた40で、もう死のうと思った年齢で運命の出会いを果たし、そこから今に至る道を見つけたのだった……自分の人生はあってはならない「失敗」だと思っていた頃からずいぶん状況も変わった。だが、これからも人生は続く。筋書きのないドラマが、終わりなき旅が続くのだった。ああ、人生は素晴らしい。

夜、Discordのとあるサーバで十河進について少しプレゼンをする。彼の著書『映画がなければ生きていけない』に影響を受けたことを語る。彼が40代の終わりから書き始めたコラムを読み、人生論やリベラルな思想を読み込んできたこと……40代に入り私も「中年の危機」を体験しどうしていいかわからなくなった時、阿部昭の『単純な生活』や十河進のコラムを読んだことは大きかった。ユーモアを交えて「今」を、つまり40代の日々を肯定し、日々のささやかな幸せを祝う姿勢に心打たれる思いを感じたのだった。この日記はそんな十河進のようになりたいと思って書いていた側面もあったのだが、少しは近づけただろうか。