跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/11/02

今日は遅番だった。朝、いつものように十河進『映画がなければ生きていけない 1999-2002』を読む。Twitterでふと彼の本のことを知り、手に取ろうと決めて買って読み始めたのが確か私が40になった頃のこと。それ以来、私にとってこの人は「どう歳を重ねるか」という意味でモデルとなり続けている。私ももう47歳。これから老いて枯れていく過程に入るのだけれど、この十河進のように素敵な歳の取り方、成熟の仕方をしたいと思っているのだった。私には他にもそんな、「自分の前を歩いている人」が友だちとして存在する。これはとても幸せなことだ。

オリジナル・ラブの曲を聞く。「ミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ」という曲がふと私の心を捉えた。生きていけるのはジャズがあるから……私もこの境地はわかる気がする。私が生きていけるのは大層な思想や主義があるからじゃない。いや、夢や理想は確かにあると言えばあるのだけれど、それと同じくらい大事なのが私にとって耳に馴染んだジャズやヒップホップのグルーヴがあり、先にも書いたような好きな小説家やコラムニストの文章があり、美味しい食事があるから。シラフで生きていける喜びを噛み締めて生きていられるというのはいいことだ。

自分には仕事もあるし、美味しい食事もある。住むところもある。贅沢さえ言わなければ幸福に生きていける……友だちだっている。ジュディスさんと今日WhatsAppで話したのだけれど、彼女が私のことを友だちだと言ってくれた。ああ、かつて人間不信が激しかった時は自分は皆に嫌われて、笑い者にされていると思い込みわざと敵を作るように生きていたっけ。バカなことをしたものだ。今はありのままの自分を晒すことに恐れを感じていない。ありのままの自分をこの日記やリアルで晒すことで人と友だちになれる。認めてもらえる。その手応えを感じる。

今から10年後、どんな人生が待っているだろう。あるいは私が50代になれば……50代と言えば古井由吉が『仮往生伝試文』を書いた時期だ。私には到底あんな深遠なものは書けない(し、書く必要もない)。私は私の人生を生きるしかない。確かに信じられるものは何だろう。先にも書いたが村上春樹十河進の本を読みジャズを聴き続けて、自分自身とこうして日記を書くことで対話を重ねて生きて、そして自分なりの完成に近づいていくのだろうと思う。できることならもっと英語を試す機会に恵まれればと思う。私から積極的に英語で表現する機会を見つけるべく働きかけるべきかもしれない。