跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/11/18

今日は遅番だった。仕事前にいつものように十河進のコラムを読んでいたら、映画『トップガン』の監督トニー・スコットについて書かれた文章が目に留まった。自殺を選んだということ……人はどんな風にでも死ねる、と書かれていた。実を言うと私も、酒に呑まれていた頃は自殺をずいぶんイージーに考えていた。いつでも死ねる、と思って……それが勇気の証だと思っていた。私は浅はかだった。普通の生活、堅実に築き上げた生活を厳しい時代に抗って守り抜くということの方こそ勇気が要る行動だということがわかっていなかったのだ。

ビル・エヴァンスの死についても十河進はコラムで書いている。彼の人生は緩慢な自殺への過程と言ってもいい生き様だった、と。私も、ベロンベロンになるまで酔っ払って恥をかいたこともあったのを思い出す。ああ、アホだった。こないだの断酒会の例会でも参加者が自殺について語っていたのを思い出す。なぜ生きなくてはならないのか、なぜ自殺してはいけないのか、私もかつては相当に悩んだ。今は私はこの世にある様々な芸術を享受して生きていくことを選んで、着実に生きている。生きることは喜びにあふれている……と書けば大袈裟というものだろうが、それでも黒澤明が『夢』で語ったように「生きることはいいことだ」と思っている。

発達障害を扱った本に書かれている基礎的な知識として教わるのは、発達障害者はマニアックな知識を学ぶことを好む「職人気質」を往々にして持っているということだ。私もどっちかと言えば「オタク」なところがある。たくさんの本を読み、映画を観て音楽を聴く。そういう「オタク」な性格ゆえに、ジャズをディープに掘り下げたり村上春樹十河進を繰り返し読んだりするのだろうと思う。今の時代はそういう「職人気質」を否定する方向に向かっている、とも言われていてそれが気になっている。私の生き方は時代遅れなのかもしれない。

再び自分に問う……自分には夢はあるのだろうか、と。今のところこれといって大きな夢が自分の中にあるとは思えない。せいぜいこの日記をもっと続けていきたいと思い、そしてもっと多くの人に読まれればと思うくらいだ。あるいは面白い本を読み尽くしたい、いい映画に触れたいという欲望ならある。そういう「見果てぬ夢」に振り回されて生きることは幸せな人生なのだろうか。わからないけれど、私はそんな生き方に憧れる。「見果てぬ夢」に殉じて生きる……私ももう少しそういう欲望に忠実になった方がいいのかもしれない、とも思う。