日本語に「強面」という言葉がある。かつては私はそんな「強面」の人間になりたかった。他人から一目置かれるというか、他人からナメられないというか……多分これは私がずっと人から蔑まれて、いじめられて生きてきたことに由来しているのだろう。「オーラ」がある人間、と言ってもいい。まだその頃は、自分は単に自分自身でいるだけでいいということがわかっていなかったのだ。今の私はどうだろう。私自身は威張ったりエラそうに振る舞ったりしても「地金」の部分では弱っちいことを知っているので、そんなにデカい態度で振る舞ったりしたくはないのだが。
昨日トニー・スコットについて書いたこともあって、今日は『トップガン』を観ようかと思ったのだけれど仕事が終わると疲れてしまった。それで早々に寝てしまった。時間が取れたら『ラ・ラ・ランド』を観直すのもいいかなと思い始めている。『ラ・ラ・ランド』は一度観て「しょーもない映画だなあ」と思ったのだけれど、今になってそれなりに目が肥えた状態で観たら発見もあるかもしれない。まだ自分は映画を観たいとも思うし、本を読み続けたいとも思う。そうして好奇心が働いているうちは大丈夫かなと思う。
『ラ・ラ・ランド』のテーマは夢を見ること、夢を追うことだったと思っている。なりたいものになる、と決意を固めて……もしかしたらそんな『ラ・ラ・ランド』のメッセージが「刺さらなかった」のは、私が夢を諦めて生きていたからなのかもしれない。それは悪しき意味で冷笑的に生きているということだろう。私の夢は作家になることだったが、その夢は二百年生きても叶わないと悟り諦めた。だから、「大人になろう」と思ってクールぶって生きていた。「大人になろう」……大人とは夢を諦めた人間、夢を捨てた人間の謂なのか。
夢を見ることがどんなに恐ろしいか、ということを考えることがある。見果てぬ夢に取り憑かれて、現実を蔑ろにして生きてしまう……自分もそんな風な夢追い人だったことがあるからわかる。現実を蔑ろにしてでも夢を追うことを、私は「一途だ」と称揚したくはない。現実を丁寧に生きることと夢を追うことは両立すると信じている。まず、眼前の相手を大事にすること。今やっている仕事を丁寧に行うこと。そこから、その現実の延長上に夢を設定すること。そうすることが人生のクオリティを保つ秘訣ではないかと考え始めている。