跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/11/12

自分の人生を振り返る。決してカッコいいとは言えない、でもかけがえのない人生。こんなに味わい深いものになるとは思ってもみなかった……20年前、ポール・オースターを読み耽って過ごしていた頃は20年後こんな風になるとは思わなかった。考えてみればリリー・フランキーだって20年前はイラストレーターとして名を馳せていたのが、今や邦画になくてはならない名優。世の中そんなものなのかもしれない。これから10年あるいは20年、どんな風になるだろう。まったく予測できない。予測がつかない混沌の中に今日も私は我が身を晒す。セ・ラ・ヴィ。

この人生において自分は何をしたいのだろうか、と今一度考える。さしあたって今、自分は映画を観て感想を書いてそれから本を読んで、英語の勉強をしていて、それで満たされている……阿久津隆『読書の日記』や十河進の本を読んだりして、ドナルド・フェイゲンを聴いたりして40代の日々を過ごしている。47歳。いつも思うのだけれど、自分は46歳で亡くなった中上健次アルベール・カミュを超えることはまったくできなかった。それを言い出せば私は45歳で死んだ三島由紀夫の足元にも及ばない。ああ、かつて「自分には絶対に才能がある」と信じていた、どこにでもいるアホタレだった自分が懐かしい。

「自分には絶対に何か光るものがある」……あるいは「自分は輝かなくてはならない。天才として名を馳せなくてはならない」と思い込んでいたあの日々。仕事そっちのけで小説を書いて、でも現実は厳しく「自分は結局凡人だ」ということを認めざるを得ず、現実の前に屈服することになって……今はそんな現実を、まるごと魚を飲み込むがごとく飲み込んで何とか暮らせている。その後、この日記を書き始め、英語を学び始め……紆余曲折で波乱に満ちた人生だ。これからどんな人生が待ち受けているのだろう。わからない。私の文章は誰に届くのだろうか。

夜、ジョン・タトゥーロ『ジゴロ・イン・ニューヨーク』を観る。自分が天才ではあり得ないことを「飲み込んで」生き始めたその経験があるからか、ウディ・アレンが見せる女性観や人生観をある種の共感を以て楽しめるようになってきた。いや、ウディとはその「男臭さ」において相容れないところもあるのだけれど、それでも彼の知性やユーモアを信頼したいとも思うのだった。この映画はしかし、ジョン・タトゥーロという人の洗練されたセンスを楽しむに充分なものだった。この人の次作を早くも期待したいと思う自分がいる。そして、こんな風に「次に何を観よう?」と思えるうちは自分は大丈夫なのかな、とも思うのだった。自分の助平心がまだまだ旺盛なうちは。