跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/11/24 BGM: The Monkees "Daydream Believer"

昼休み、ふとモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」を聴きたくなった。この曲は日本でもタイマーズというグループがカバーしてヒットさせたので有名だろう。ふと「この曲は自分のことのようだな」と思った。「デイドリーム」とは白昼夢のことで、つまりは「デイドリーム・ビリーバー」とは「現実を見てない人」「夢追い人」のことになるのだろうと思うのだけれど、私も今の仕事を始めてからも何かしら自分の実力を発揮して、いっぱしの人間になってやるとかビッグになってやるとか思って、その「意地」で生きてきたと思う。


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世の中には夢を諦めた人はどれくらいいるのだろうか。私もいつの頃からか「夢なんかない」「今を生きるだけだ」と思って突っ走ってきたと思う。このことを思うと自分自身の過去、30代だった頃のことが蘇る。このまま5年後も10年後も向いていない仕事をやらされ、人からバカにされて酒を呷るしか楽しみのない人生を生きるしかないと思い込み、絶望して薬をたくさん飲んで……その後40になり運命的な出会いを果たし、その頃に酒を止めて今のような生活を始めることになり、今を生きているのだった。ああ、プリファブ・スプラウトは正しかった。「ライフ・イズ・ミラクル」。人生とはそれ自体が奇跡のようなものなのだ、と。

私の知り合いを見ていると、還暦を超えてもしっかりした夢を持ち未来を見据えて生きている人がいることに気づく。いや、曖昧というかフニャフニャした夢くらいなら私にもある。この日記がもっと読まれてほしいとか(読まれるための努力など何一つしていないのだけれど)、英語をレベルアップしてもっとその能力を活かしたいとか。だが、夢を持つことはその夢のために人生を捧げて、いわば「夢に殉じて」生きることなのだろう。そんなリスクを負う生き方が自分にできるかというと、できないかなあとも思う。今やっていること、例えば仕事を堅実にこなし、日記を書き本を読むということの延長上に棚からぼた餅でも落ちてくるのを待つように生きるのが自分に似合っているのかなとも思う。いや、情けない生き方かなあとも思うがしょうがない。

夜、本当ならミーティングに出る予定だったのだけれどふと食後横になって、そのまま寝てしまった。なので寝過ごしてしまう。その後もぼんやりして過ごしていたら就寝時間になった。バイきんぐ小峠的に「なんて日だ!」と思う。読書も結局できなかった。Twitterをやっていた頃にずっと「また政府が給付金をくれないかなあ」とか他力本願で思っていたことを思い出す。それこそ情けない生き方だったと思う。いや、政府の給付金の是非も論じられるべきだが、その前に私は自力でできることを愚直にやり抜くという生き方を貫かなければならなかったのかなと反省して、改めて生き直しているのだった。時にはモンキーズでも聴きながら。