きれいごと、あるいは僭越に響くのかもしれないけれどぼくはそんな「死にたい」とまで思い詰めている人のことをほんとうに「すごい」と思う。その人たちは真剣に自分の人生と向き合い、悩みを何か「気散じ」「暇つぶし」でごまかすのではなく愚直に見つめていることは確かだからだ。それはぼくがもう忘れてしまいそうになっているせつない情熱であり誠実さである。中島義道風に言えば、彼らが血を吐くような感じで記す「死にたい」という言葉はまさに「血の言葉」なのだ。彼らが(大げさに響くかなとも思うけれど)自分の全存在・実存を賭けて吐き出すそんな言葉に、ぼくがなまぬるく生半可に「しっかりして!」「大丈夫!」なんて語りかけることは失礼でもあると思う。だから、ぼくは何も彼らに語れない……そこから、これまた大げさ過ぎるかなとも思いもしたのだけれどぼくはV・E・フランクル『夜と霧』の中に書かれているあらゆる希望を根こそぎ奪われた人たちのことを思い出したりもしたのである。もちろん、ナチスに命を奪われそうになったユダヤ人と自分で自分の命を絶とうと考える日本人には見過ごせない相違がある。だけれども、それでもぼくは言いたい。この平和な日本を生きる人たちの中には(かつてのぼくがそうだったのだけれど)確かな生き地獄を生きる人がいる。苦悩を生き抜こうとしている人がいる。それをぼくは認め、尊敬さえしてしまう。イヤミでもなんでもなく、敬意を表したいと思う。
いま考えているのは、たとえばそんな彼らになんとかして「このぼく自身の人生」「ぼくの生活と意見」を示せないかということだ。ぼくは決して成功者ではない。そんなに賢くもない。ただのエッチな凡夫に過ぎない(謙遜ではない)。だから、上に書いたような悩める人たちに「絶対の」「唯一の」「普遍的な」解なんて示せるわけがない。これに関してはウィトゲンシュタインに倣って、ぼくの生き方を読んでもらうことでその人たちが問題を考えやすくなる、そんな効果を狙うしかない。わかりにくい言い方になるかもしれないけれど、問題を生きるのは彼ら自身である(ちょうど「ぼくは他の誰にも丸投げできず、最終的にはぼく自身の問題を肚を括って組み合って解決していく」ことしかできないように)。ただ、ぼくが生きて得た教訓・ライフハックのようなものをシェアしたら彼らにとって救いになるのではないかとも思った。ぼくが成してきたさまざまな失敗(ある意味、ぼくほどこの人生で「失敗続き」の「何をやってもうまくいかない」経験を積んだ人間もいないだろう)をシェアすることで、彼らに笑いや学びを提供できたら……そんなことを思い始めもしたのだった。
思えばぼく自身も、同じように失敗続き・苦悩まみれの中島義道の自伝やエッセイをむさぼり読んだことを思い出す。『孤独について』や『哲学の教科書』といった彼の著作を読み込んで……確かにサクセス・ストーリーも大事だろう。「夢は叶う」「希望を持とう」というメッセージに励まされる気持ちをぼくも共有する(だから何だかんだ言って『ショーシャンクの空に』『ロッキー』のような映画を観るとぼくだって泣く。展開も結末もわかっているのに)。でも、ぼくは同時に「せち辛い世の中だ」「うまくいかないこともあるけど、まいっか」というメッセージだって発信したい……ふと、頭木弘樹さんの『絶望名言』を思い出してこちらを読み返すのもいいかと思った。そうして読んだ本や学んだことを何か断片的なメモとして書いて、それを「百科事典」的にwikiでまとめられたらといったことを考え始める。まとまった、時系列に沿った自伝を書くことも考えたのだけれどどうしたって継続したねばり強さと根気を以て書かなくてはならず、ぼくにはできそうにない。なら、村上春樹・糸井重里『夢で会いましょう』的なキーワードをまとめたサイトを作れたら面白いのではないかと……ただ、これはまだ思いつきの段階でしかない。焦りは禁物。じっくり実行に移していきたい。