人生は上々だ

Life is good.

2022/07/18

今日は遅番だった。朝、Chari Chariというグループの音楽を聴きながら阿久津隆『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』を読み続ける。阿久津隆の日記は面白い。とはいえ、日々次々とスリリングなことが起きるという意味での面白さではない。退屈と言えば退屈な、平穏と言えば平穏な日々が続くのだがその日々の反復あるいは繰り返しがツボに入ってしまう面白さがある。こうした退屈を楽しませるのは知性のなせる業なのだろう。この著者が小説を書けばどうなるのだろうか、とも思ってしまう。保坂和志のようなものができあがるのだろうか。

前に他人のブログを読んでいたところ、もうこんな人生に飽きたという旨を書いている人を見かけた。ブランキー・ジェット・シティの曲に「長生きしたくない」と嘯く人物が出てくるのを思い出す。私も47まで生きたのだけれど、変なもので今は人生に飽きたとも生まれてきたことが間違っていたとも思わない。長生きしたくないとも思わない。読みたい本はあるし学びたいこともあるし、恋愛だって楽しみたいとも思うし他にもやりたいこともある。というより、この歳になって俄然やる気がでてきたという方が正確かもしれない。若い頃はどこか「悟ろう」と思って無理をしていたと思う。

昼に、ふとInstagramを見ていて中国の女友だちの写真を見る。キレイだった黒髪を変色させているのを見たので、どういう心境の変化があったのか軽くWeChatで挨拶代わりに訊いてみた。それで、単なるPhotoshopでの加工だったということを教わる。彼女とも何だか、恋愛とも友情ともつかないよくわからない関係として続いている。子どもの頃女の子からとことん嫌われた過去があるのだけれど、その埋め合わせを神様がしてくれているのか今は女友だちが多い。彼女たちは私のことをどう見ているのだろう。彼氏候補……ではないのだろうけれど。

恋愛ということで言えば、自分は女性と付き合ったことがない。キスもしたことがないし、それ以上の関係を結んだことももちろんない。自分なんて好きになってもらえる資格なんてないんだ……そう思いこんでいた時期が長いので、女性から親切にされると何だかぎくしゃくしてしまう。性的なこと、もっと端的に言えばセックスについて悩むこともある。というより、もっと端的に『フェリーニのアマルコルド』よろしく「女性が欲しい!」と本能が疼くことだってある。こういう異性に関わる悩みはどうすればいいのだろう。誰に相談すればいいのか……今日の日記はこうして疑問を「投げっぱなし」で終わらせてしまうのだった。