跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/07/16

阿久津隆『読書の日記』を読み終える。1000ページほどもある本なのだけれど、この本はスリリングにこちらを惹き込むというよりは延々と続く記述を読ませる「弛緩した面白さ」があると思った。3度目の読書なのだけれど、このままこの本が終わらないで欲しいとさえ思った(続編も出ている本ではあるのだけれど)。そのダラダラした面白さは保坂和志にも通じるし、私の読んだ範囲では田中小実昌マルセル・プルーストにも通じるものだと思う。そうした著者が備えている鋭利な知性を阿久津隆も確実に備えていると思う。

疲れたなあ、と何となく思い始めている。今日は早番だったのだけれど、仕事が終わると早々にバタンキューで眠ってしまった。clubhouseで出会ったタイの目が不自由なピアニストの方から彼女のコンサートに誘われていたのだけれど、結局長居できずグーグー眠る体たらく。読書も進まなかった。夏バテだろうか。それともコロナ禍のプレッシャーだろうか。おかしな毎日が続くが、それでも日記を書き読書をして仕事をこなす。やるべきことを、気分や感情に左右されずにやる。それが仕事から学んだ健やかな日々の過ごし方だったりする。

大岡昇平『成城だより』を読み始める。私はこの本を図書館で借りて読んでいるのだが、買おうと思った。私はこれから50代を生きることになるのだけれど、どうせなら猥雑に好奇心を働かせて音楽や映画や文学に貪欲に接し、それでいて己を律して知的かつ上品に執筆活動を続けた大岡のようになりたいと思ったのだ。自分の50代が見える年齢になってきて、人生は絶望的に暗くなるどころかもっと明るく、楽しいものになるような予感を抱いている。これも断酒し、日々読書して丁寧に生きる努力をした結果なのかなと思う。

図書館に行き、ドン・デリーロ『リブラ 時の秤』を借りる。どんなにあがいたって人生は有限で、読める本には限りがある。私は若い頃はあれもこれも読んでやると勢いづいていたのだけれど、今はすでに読んだ本を読み返すことに喜びを感じる。フェルナンド・ペソア『不安の書』を何度読み返すことになるだろう。もちろん未読のトマス・ピンチョンだって読みたいのだけれど……もう批評家めいたご意見番になることも諦めて、ただのアマチュアの読者として人生を閉じるのも悪くないかなと思えてきた。結局私はそういうタマだったということになる。それもまた人生だ。