跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/07/11

阿久津隆『読書の日記』を読み始める。この本を読むのはこれで3周目になる。この読書はいったい何を生み出すだろうか。そもそもどうして読むのだろう、と考える。読んだそばから忘れてしまうような、そんな体たらくなのに……多分私の読書は勉強するとかそんな建設的なものではないのだろう。読んでいるその瞬間が楽しければそれでいい、というそれだけの刹那的な快楽のために私は本を読む。でも、それでいいのではないだろうか。私は勉強のために本を読むことはできない。ただひたすら、楽しくなりたいために本を読む。

花火大会が行われるというチラシを目にする。私たちはずいぶんいろいろなことを楽しむ。人生は短いというのに……と考えて、逆かもしれないと思った。人生は短いからこそ、あらゆる手を尽くしてこの世に生まれ落ちてきたことを楽しもうとする。それが人間なのかもしれない、と思うのだ。もののあわれ、という言葉を思い出す。私は人生が短いとしても、明日死ぬとしても本を読む。それと同じロジックで、何も変えられないとしても機会が与えられたら投票をするし真面目に生きようと試みる。それは多分性分の問題なのだろうと思う。

ニュースではカルトが話題となっている。私自身、カルトにハマりかけたことが何度かある。早稲田に通っていた頃は極左の団体に入りそうになり、違和感を感じて抜け出してしまった。30代の時もカルト団体から抜け出したことがあった。そういうカルトから抜け出せたきっかけは、言葉にならない違和感だったと思う。その違和感をごまかさずに見つめるうちに、私はカルトの人々の矛盾や自己欺瞞に気づいて、すべてがバカバカしくなって離れたのだった。どんな状況でも、違和感を率直に言えるということが大事だと思う。

今日も今日とてたくさんの音楽を聞いた。エモと呼ばれるジャンルのパンクを聴き、パット・マルティーノの芳醇なギターを楽しむ。雨宮まみの著作で「Last Night A DJ Saved My Life」という言葉が登場すると阿久津隆の日記にある。私のように四六時中刹那的に生きているのも問題ではあるだろうけれど、時には音楽や小説に我を忘れてすがりついて生きるのもいいのかもしれない。私はそう強い人間ではないので、例えばストーン・ローゼズやヴァーヴの曲を聞いたりして自分を立て直すこともある。そうして、音楽に救われ今を生きている。これからもそうだろう。