跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/03/31

次に読む本は何にしようか、と思って『群像短編名作選』を選んだ。文庫版で全3巻ある本で、三島由紀夫太宰治から最近の作家まで様々な書き手の書いた短編が収められている。実はこの本も以前に読んだことがあるのだが、また読み返すのも一興かと思ったのだった。阿久津隆の日記を読んで私も最近の文学に触れたいと思ったからでもある。なかなか新しい本に手が伸びない。大江健三郎のような優れた読み手が新しい作家たちの本を評価しているのを見るにつけ、自分はやはり「読書好き」ではないのだなという感を新たにする。私にとって読書は、少なくともなにかを開拓するというクリエイティブな営みではないのかな、と。

阿久津隆の日記『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』を読む。彼の読書は彼が本当に必要としたものを読んでおり、誰かに対してマウントを取るような浅ましさがない。素直な読書をしている、と思う。それを支持したいと思うのだった。いつも私はカバンの中に3冊ほど本を入れて持ち歩くのだが(もちろん読めるわけない!)、今日はこの1冊を集中的に読んだ。実に充実した時間を過ごせたと思い、この「充実した読書を味わっている」という濃密さ(宮台真司言うところの、充実した時間を満喫しているという「強度」)がキモなのだなと思った。結局読書に限らずなんだって、楽しければいいのだ。吉田健一だってそう言っているのだから。

阿久津隆に倣ってトマス・ピンチョンを読んでみようか、あるいは知人を真似てドン・デリーロアンダーワールド』を読んでみようか、とあれこれ考える。昔芝山幹郎の影響でエルンスト・ルビッチの映画をあれこれ観ていた時に、「ルビッチを観てるんですか」と驚かれたことがあったことを思い出す。私は他人に自分がルビッチを観ているというだけでマウントを取ろうと思ったことは一度もない。たまたま私の人生と芝山幹郎の本が接触して、そこからルビッチに回路が開かれた。それだけのことだ。偶然と運でルビッチを知っただけの話なので、それを優越感を競う材料にする気にはなれない。

「マウントを取る」とか「優越感を競う」とか、「なにがイケてるかフォローできている」とか、そんな話になるとブレット・イーストン・エリスアメリカン・サイコ』という小説を思い出す。名刺のデザインにまでこだわり、誰が一番ヒップなのかという極めてしょーもない次元の競争に神経をすり減らした人たちが出てくる小説だ。そういうマウントを取るゲームは結局他人の読書のテイストや彼/彼女が誠実に生きている人生そのものを軽視して、自分のセンスばかり押し付けたがる姿勢から出てくるものだと思う。前にも書いたが、高田純次ばりに笑顔で「ガンバってくれ😜」と返すのが吉だと思うのだった。