跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/03/30

前々から書いていることなのだけれど、自分の好みが老朽化してきたのを感じる。新しいものを受け容れられないというか、触れてもその魅力がわからないでいる。流行るものには理由があるはずだ。私も若い頃に村上春樹ノルウェイの森』を熱心に読んでいた頃奇異な目で見られたものだが、『ノルウェイの森』にしたって若い人の心を掴む要素があったからウケたのであって、私がどうかしていたわけではない。それと同じことが今の流行にも言える……と書いて、「今なにが流行っているか」「今なにがベストセラーか」を言えないことに気づく。ああ、おっさんになってしまった。映画の影響で村上春樹『女のいない男たち』がまたベストセラーに入ったとは聞いたが……。

今日は休みだった。朝、イオンに行きそこでプロペラヘッズベントレー・リズム・エース、ファットボーイ・スリムといった私が若い頃に流行った音楽を聴きながら阿久津隆『読書の日記』を読み進める。1000ページほどもある分厚い本なので読んでも読んでも終わらない。合間に十河進『映画がなければ生きていけない 2013-2015』というこれまた600ページほどある本を読む。読んでもお金にもキャリアにもつながらない本ばかりだが、ただ面白そうだから、今の自分に必要だという予感がするから読み進めるのだった。結局昼食を食べ終わってからもひたすら読み続けて、午後4時頃『読書の日記』を読み終えた(ワイルドだろ~?)。

『読書の日記』は2周目の読書だったのだが、なんだか破裂するような日記だと感じた。著者が読み進めた中で得たことや日々の生活の中で書きたいこと、彼の中で煮えたぎっていることが内から溢れ出てくる印象を受けたのだった。著者が極めて理知的な書き手であることは疑い得ないが、そんな知性のコントロールを超えて眼前の本と音楽や映画と戯れんとする遊び心をも同時に持ち合わせていると睨んだ。悪く言えばスノッブということになる。が、私もスノッブなのは同じだ。この著者のエッセイや小説といったものも実現するようなら楽しみに読みたいと思い、この日記の続編も持っているので読もうかなと思わされた。

図書館に行き、その阿久津隆の影響でW・G・ゼーバルトアウステルリッツ』を借りた。あとは村上春樹『遠い太鼓』とポール・オースター『幻影の書』を借りる。ポール・オースターは若い頃熱心に読んだきり遠ざかっていたが、また読みたくなって未読だったこの小説に手を付けることにしたのだった。好みが固まるのは自分に忠実なせい、と言えばクールに聞こえるけれど結局は時間と体力を無駄にしたくないというみみっちい精神の現れである。トマス・ピンチョン重力の虹』や村上春樹1Q84』を読んで自堕落に時間を空費する、ということができないのが私なのだった(いや、『1Q84』は前に読んだことがあるんだけど……)。