跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/31

十河進『映画がなければ生きていけない 2003-2006』を相変わらず読んでいる。この本の中で、仕事をすることの意味が説かれている。世のため人のため、という視座が必要である、と。私はそのような視座を持っているだろうか。私は今の企業でしか働いたことがないが、最初は兎にも角にも食べていくために必死で働くしかなかった。つまり、自分自身のためでしかなかった。会社を回すためだとも、他の人の利便のためだとも思わず……今はもっと余裕を以て見渡せるようになった、とも思う。その意味では自分はやっと「世のため人のため」に働けるようになったのだろう。

十河進の本では、プロとしての矜持についても語られている。私は今の仕事においてプロなのだろうか、と考えてしまう。人は時々、20年も続けられたということはすごいことだと言う。でも、私は特にすごいとも思っていない。他にやることもなかったので続けてきたらこの年齢になった、というだけのことだ。ただ、やるのであれば手を抜かないで、きちんとやりたいと思っている。強いて言えばその「きちんと」がプロ根性なのかもしれない。誰に叩き込まれたわけでもない。自分が自分に言い聞かせていることである。

糸井重里が以前に「責めるな、じぶんのことをしろ」とツイートした。私はこの言葉が好きだ(Twitterではずいぶん叩かれたようだが)。もちろん相互批判は大事である。だが、私は闇雲に誰かを批判する前に、自分のことを振り返りたい。自分は「世のため人のため」に働けているか? 人に恥じないなにかを行っているか? そんな「人の振り見て我が振り直せ」な姿勢がないと、なにをどう語っても片手落ちになってしまうのではないかと思う。これはもちろん「糸井を批判するな」という意味ではないので念の為に。

私自身、酒に溺れていた頃は一日中Twitterに張り付いて「政治が悪い」「経済が悪い」「発達障害に無理解な世間が悪い」と呟き続けていた。なので大きなことは言えないのだが、このコロナ禍でも結果を出せている人は出せている。むろん、雨宮処凛がリポートするような残酷物語は存在するのだろう。政権に対する批判は建設的に行われなければならないと思う。それを踏まえた上で、私は自分の足元をしっかりと見つめて一歩一歩踏み出していきたいと思う。ニーチェ言うところの「鳩の歩み」で世界を変える精神を忘れたくない。