2022/01/15
親愛なるマーコ・スタンリー・フォッグ様
マーコ、あなたは今でも本を読みますか? こんな時代ですが、ぼくは実は電子書籍というものを読みません。ただ単に目が疲れるからというだけの理由なのですが、紙の本の手触りが好きだからというのも理由かもしれません。最近ぼくは十河進という書き手の『映画がなければ生きていけない 1999-2002』という本を読みました。この本では書き手が自分の人生について語り、観てきた映画について語り、読んだ本について語ります。それだけの本なのですが、これがとても面白い。600ページある本なのですが、すんなり読むことができました。
なぜ『映画がなければ生きていけない』という本に惹かれるのか考えたのですが、それは多分十河進という人が「等身大の自分」を著しているからだと思うのです。自分を必要以上に大きく見せない。でも、謙遜も(そんなに)しない。小市民というか市井のひとりの生活者の立場から、自分に見えたものだけを語る。だから彼はジャーナリストでもコラムニストでもありません。でも、エドワード・サイードが言っていたように今の世の中で知識人とはこうしたアマチュアのことを言うのだと思います。いや、記憶違いかもしれません。もしそうだとしたらお詫びします。
等身大の自分……ぼくも、見せられるなら等身大の自分を誇りたいと思います。というより、等身大の自分しかぼくには見せられないので、そんな自分を見せることに徹したいと思うようになったというのが正直なところです。ぼくが『ムーン・パレス』を好きなのはこの小説に出てくるマーコ・スタンリー・フォッグ、つまりあなたが自分の至らなさ、恥ずかしさも差し出してユーモラスに語っているからです。若い頃のあなたは笑える、今の言い方をすれば「イタい」人だった。それを明かしているところに信頼を置きたいと思うのです。それはあなたが「等身大の自分」を見せることを怖がっていないからでしょう。
ぼくはぼくでしかない……それが、ぼくがこの年齢まで生きて学んだ真実です。オルタナティブな自分を見せられない。常にぼくはこの鈍重な肉体を背負った男としてのぼくであり、軽やかな誰かではなかった。いつの頃からか、それを是認しようと思うようになりました。そしてニーチェが説いたように、そんなぼくとして生まれてきて起きたことを全て「今ここ」に至るための道だったのだと思うようにしようと考えました。だからぼくは今、幸せに生きられていると思います。マーコ、あなたは自分のことを幸せだと思っていますか?