単純な生活

Life goes on brah!

2025/03/31 芸術は爆発だ

BGM: Cornelius - Point of View Point (Yann Tomita Mix)

今日は休日だった。5連勤のあとで疲れがまだ身体に残っていたのだけど、ゆっくり・ダラダラ寝そべって過ごすわけにも行かない。今朝は月イチの総合病院に通院し、精神科の先生にいろいろお話しする日だったので、朝早くから総合病院におもむく(今日はなさけないことに、早朝の英会話関係のZoomミーティングをサボってしまった)。そこで、先生に昨日の「フラッシュバック」の1件やさいきんはじめてしまったイタズラ書きのことなどを話す。河合隼雄村上春樹の対談に刺激されてはじめたこと、などなど。その後いろいろあり、薬を処方してもらえてつつがなく終わった後はイオンに行く。あとは取り急ぎ今日はやることもなかったので、晴れてヒマな午前をまったり過ごす腹づもりでいたのだった。

さいしょはいつもやっているように、いろいろ音楽を聴きながら(今日は坂本龍一や、その他には小山田圭吾つまりコーネリアスの音楽をあれこれ適当につまみつつ)英語を用いつつ心の中のゴミをフリクションペンとマルマンのメモパッドを使って書いていく。でも、説明はまったくつかないのだけれど、あるいはさいきんイタズラ書きを友だちに褒めてもらったりしたことで舞い上がっていたせいか、単純に春の陽気からくる気まぐれなのかいずれにせよとつぜん「白紙に、上手い下手関係なく(いや下手なのだけれど)ともかく、なぐり書きでイラストで『心のゴミ』を叩きつけて書いてみるのはどうだろう」と思い立ってしまった。そうなるともうこの発達障害特性というやつは居ても立っても居られない。イオンの3階にあるダイソーで落書き帳を買い求め、そしてフリクションペンであれこれサラサラ書きなぐっていった。

それが終わると、DiscordやWhatsApp、Facebookなどさまざまなソーシャルメディアなんかを通して友だちに見せる。LINEでも自助グループのメンバーたちに見せたりする。すると、英語学習でお世話になっている海外の知人がなんだかサン=テグジュペリの不朽の名作『星の王子さま』みたいと言ってくれたりして、それが生々しく心に残る。昼弁当を食べて、午後も引き続きやることなんてなかったので(そういう日もある)、ならばと思って『星の王子さま』を読み返すことに決めた。読み返せばなにか得られるものがあろう、あるいはココロをリフレッシュさせて「あの子どものころ」「少年時代」に戻れるかもしれない、とも思ったりした。それで、さっそく未来屋書店で買い求め粛々と再読にふけった(管啓次郎などいろんなヴァージョンの訳があって、迷った挙げ句池澤夏樹の訳を選んだ)。

ぼくは実を言うと、この『星の王子さま』を夢中になって読みふけった記憶はまったくない。むしろ、軽蔑というかなんというか「ナメていた」「あなどっていた」とも思う。たぶんそれはぼくが読書についてこうした良質の本を少年時代「洗礼を受ける」というか「浴びるようにたのしむ」ことなく育ったからかもしれない(ほんとうに本を読むようになったのはたぶん中学生のころ、スティーブン・キングスタンド・バイ・ミー』なんかを姉の影響で読んだりしたせいだ)。なので、こんかいはたぶんはじめて読んでなんら感興が湧かないままポイと投げ出してそれっきりになってから30年後ぐらいの再読になるかなとも思う。なにはともあれ、読み返してそれで驚かされたのはことし50になるぼくでさえも確かにこの『星の王子さま』の影響で心の中のなにかが「共感」「共鳴」する感覚を禁じえなかったという事実だ。ぼくの中にもまだ子どもの心が残っているのか? なにはともあれ、この本を読み終えるとぼくもなんだか本が描写している自然(本書では薔薇の花や砂漠、その他さまざまな自然が実にみずみずしく・活き活きと描かれている)に触れたくなり、そうすると居ても立っても居られずイオンを出て近所の公園に行ってしまった。それがこの本の「底力」「パワー」だと思った。

さっきも書いたが、ことしぼくは50になる。でも、なんだかこんな感じで実に無軌道に・無計画きわまりなくガキの心で生きている。いいのかなあ、とも思いつつそれを恥じる気もなかったりする。なにはともあれ、公園にてテーブルがあったのであれこれ手持ちのフリクションペンとメモパッドを使って英語であれこれ筆を走らせ、アイデアを文字でなぐり書きしていく。小山田圭吾に触発されてクラウトロックの雄のノイ!なんか聴いてみたりしつつ……そして書いたことというのは、この『星の王子さま』がたしかに人をおおきく・おおざっぱに2分化しているということだった。大人と子ども、だ(後者には「大人になりきれない大人」、つまりぼくのような人間もたぶんにふくまれよう)。でも、ぼくが仮に子どもだとして、ならばどうしたらいいんだろう。大人になるべきか、成熟した「まろやかな子ども」になるべきか(なんじゃそりゃ……)。

夕飯をいただいた後に消灯時間まであいかわらずダラダラと、やることなんてなかったせいもあり手元にあった毛利嘉孝平凡社新書バンクシー アート・テロリスト』を再読する。そんな感じで1日を終えた。すこしは精神が快復したかな?