単純な生活

Life goes on brah!

2025/02/05 BGM: Pat Metheny Group - See The World

今日は休みだった。実を言うと、おとといに感じられたようなめまいを今朝方も感じてしまい右往左往する。原因はけっきょくわからずじまいで、熱や咳といった自覚症状もまったくない。なにはともあれいつものようにシャワーを浴びて朝食を摂り、その後図書館に行く。借りていた本を返した後になにか借りるかと思って目をやると、面白そうな本があるのが目を引く。吉荒夕記というまったく聞いたことのない著者による『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』という本で、さっそく借りてその後イオンに行きそこでさらりと目を通した。そして、あなどれない本だと唸ったのだった。

正直に打ち明けると、ぼくはアートに関してはまったくもってトーシロでありバンクシーのアートについても無知蒙昧というか、ただ「すごいなあ」「かっこいいなあ」とアホ面で見るだけの観客でしかないのが実情だ(もっと言えばぼくはナマでバンクシーのアートなど見たことはなく、こうした本やドキュメンタリー映画なんかを通して見ている「読者」でしかないとも言える)。でもこの本はそんな無知蒙昧なぼくにも、どのようにして彼が匿名性を保ちつつ(つまり「覆面アーティスト」として)彼のホームタウンであるブリストルから世界へ羽ばたき、アートで日々世界を騒がせ続けているのか如実に教えてくれる。ぼくなりに言わせてもらうならば、彼のアートはそんななまくらというかぼんくらなぼくの目を開き、すぐれたポップミュージックなどのように世界をあらためて新鮮な感覚で知覚させてくれる得がたいものだと映る(とりわけ、世界が内包する致命的な政治的矛盾について)。彼はそして、アートの幅を広げるというかアートの意味付け・定義付けを問い直そうとさえしているのではないか。なぜアートは匿名のストリートのグラフィティと美術館がかかえこむ「社会的」「権威的」アートに分けられうるのか、というように。そのさかい目はどこなのか。

マッド・プロフェッサーがリミックスしたマッシヴ・アタックの音源を聴きつつ、そうしてバンクシーについて読ませてもらいぼくもド素人なりにしばし考え込む。ふと、前にある日本人のぼくの畏友がWhatsAppを通じてメッセージをくれていたことを思い起こす。そのメッセージで、いま起こっている見過ごせないこととして(もちろん一方でネットの普及などで世界が平準化・液状化されて言語・文化などの隔壁を超えたアクセスが可能となりつつあるとはいえ)、都市部と地方において深刻な格差があってそれが時に昨今話題となっている「体験格差」に一役買っているのではないか、ということだった。つまり、ぼくなりにひらたく言えば都市部では映画館や博物館・美術館などが相対的に充実しているのでさまざまな文化的な資源(おもしろい本や絵画など)に気軽にアクセスできる。だが、田舎ではそうではないということだ。いや、田舎では自然が豊かという美点もあるにせよ。現にぼくの場合、前にもさらりと書いたことがあるが映画館にぶらりと立ち寄り映画をたしなむなんてぜいたくな時間の過ごし方をなかなか身に着けられなかったのだった。映画館がこの町にはないからである。

この吉荒の本を読み終え、バンクシーについて過去に見たことがあったドキュメンタリー映画の記憶を思い返したり毛利嘉孝やその他信頼できる論者が書いたバンクシーについての書籍・記事を思い返したりして、バンクシーはそんな感じで世界にかくじつに内在する「隔壁」(都市部と地方、富裕層と貧困層、観衆と批評家、イギリス国内と海外、などなど)を小気味よくぶっ壊して世界にある豊満・豊潤な側面にぼくたちを導かんとしているというか……ムダに難しい表現を使ってしまったが、まあつまりアートを市民の手に取り返そうとしているんかなあ、とも思った。いや、大急ぎで付け加えておけばこんなことを書くからと言ってバンクシーにかぶれて「そうだそうだ、バンクシーすごい。そして美術館は閉鎖的なのだ」とわかったようなことをのたまうつもりはない。ぼくの知る限り、市役所や図書館などで市内・町内で文化的なイベントを開催しようとがんばっておられる方々から、そんな紋切り型で鼻持ちならないスノビズム権威主義の空気を感じたことはこれっぽっちもない。つまり、彼らもまたバンクシーの味方だと信じる。そんなことを彼にしたためた。

昼になろうとするのに、なんだかめまいがおさまらずそれゆえまいっちんぐなままで不安にとらわれる。警戒すべき寒波が来ていることが影響しているというのか。理由はまったくもってわからなかったが、なんにせよなんらやろうとしたこともはかどらず、それどころか不安がいや増すままで勢いあまって「アポ無し」のままグループホームの本家に行ってしまった。今日は副管理者の方がおられて、そこでめまいのことや前に作ってもらっていたスケジュール表(日々、どんな感じで過ごしているかをチャートとしてしたためるもの)のことを話し合った。その後いま英語研究会で読んでいる『ハリー・ポッター』のこと(ちなみに原書で読んでいる)を話した後、グループホームに帰宅してからは本格的になんにもできなくなってしまって、ぐったりしてベッドでゴロゴロしつつパット・メセニーを聴きながら過ごしてしまった。小説の続きだって書かねばならないし、さっき書いた『ハリー・ポッター』の輪読も日曜に控えているというのに……明日は明日の風が吹くというが、さすがにおしりに火がついている感覚は否めないのだった。