今日は(なぜか)休みだった。今朝、英会話関係のZoomミーティングにいつもながら精を出す。その後、これまたいつもながら朝活をこなすためにイオンまで遊びに行く。そこで、ここさいきん再読し始めてしまった村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を読んでみたりあるいは英語メモを書いてみたりしようとあれこれ悪戦苦闘する。でもなんでかわからないけれど、今日はそうしたことにまったくもって気分が乗らず集中できず、そうなってくるとチリチリ・ジリジリと無為に時間が過ぎるのが耐えられなくなってしまい落ち着かない。やっぱり無駄に時間を過ごさないためにも資格試験を受けてみたり別の活動をこなすことを考えてみたりしたほうがいいのかなあとかあれこれ考え、けっきょくなんら収穫もないままにぶらりと市役所に行ってしまった。暇つぶしに行くべきところでもなかったのだが、カンが働いたとしか言いようがなかった。開放されているロビーにて読書にいそしめたらとも思ったのだ。
その市役所にて、ふと興味を惹く展示がなされていたのを見かける。なんでも今月はとくに政府が自殺防止に力を注いでいるらしく、メンタルヘルスケアの重要さと命のかけがえのなさをさまざまなイラストや図解、資料や文の提示を通じて訴えかけていた。もちろん、自殺を防ぐためのメッセージも添えられていてそれがとりわけぼくのような万年にわたって慢性的に生きづらさを持て余す人間の目を惹く。ロビーでは机と椅子が用意されていたので、そこで座って「ぼくだったらどうやって命が大事でかけがえがないことを訴えられるだろうか」とかなんとかガラにもなく考えてしまった。そうしたことを考えさせられるだけの力のある展示だった。あれこれ、有線のイヤフォンでSpotifyをとおしてロジャー・イーノとブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックを聴きつつ考える。
あらためて考えてみればこれはなかなか難物だ。どういうメッセージがはたして彼らに伝わるのか。彼らを助けるために、そして絶望の淵にこれ以上突き落とさないように。いや、そもそも一般論として(つまり、ぼく個人の不徳・無能とかそんな問題以前に「一般的に」「概して」)メッセージで人を救うなんてことができるんだろうか。いや、これは言うまでもなくこの展示のあら捜しをしたいわけではない(ほんとうです)。こうした試みがなければこんな問題についてあらためて本腰を入れて考えることもなかっただろうから、その意味でこの展示の誠実さは貴重であると思う。だが、もし仮にぼくがとても絶望していて、そして「もうよくやったじゃないか」「生きていてもいいことなんてない」とまで追い詰められて、とてもガッツなんて持てる状況じゃないとしたら、文による(したがって、主に脳に訴えかける)メッセージが生きさせるために効くんだろうか。屁のツッパリにもならないんじゃないか……いやもちろん、こんなことを考えていけばそれこそ「ケース・バイ・ケース」になるんだろうけれど。なにはともあれ、そんなことを英語を駆使して書いた。
その会場において、ホワイトボードがそうした展示区画の一角に設置されておりそこでさまざまな人たちが彼らのメッセージを用意されていた紙片にしたため、寄せ書き風に貼りつけられる「メッセージ・ボード」というものが用意されていたのが目を惹いた。さまざまな人たちのイラストや文が紙片に書きつけられ、そうしたメッセージたちがまぎれもなく誠実・親身に自殺志願者や絶望した人たち・苦難を生きる人たちに寄り添わんとしていると思った。そうなってくるとぼくも居ても立っても居られない。いったいなにが書けるんだろうか……とこの半世紀生きた脳を振りしぼり、ただなんだか文だとあまりにも嘘くさくなってしまうような気がしてだから絵で伝えたく思って、書き記してしまった。ぼくは神でもないし聖者でもない。あたりまえの事実だ。だから人を正しい方向に導けるわけなんてないが、「オルタナティブ」というか「まあ、こんな人生もある(反面教師としてであれなんであれ)」ということは示せると思った。
その後はとくにやることもなく、なんだかいろいろさいきんあったことで金属疲労的に知らず知らずヘタっていたみたいで、だからグループホームに戻ってそこで昼ご飯を食べてうたた寝したあとはなんらやりたいこともなく、なのでいっそのこと心を「充電」するかと開き直る。それで午前中に読めなかった村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を開き、しばし再読・復習にはげむ。思えば大学生の頃にリアルタイムで新刊としてこのメガトン級の小説を買い求め・読み込み、爾来30年ほどこの作品と折に触れて付き合ってきた計算になる。いま、実に雑駁に語ってしまうとこの作品はそれこそ失業中の男の主人公がぶらぶら猫探しをしたり、なんだかんだで謎に巻き込まれていったりして、そんな感じでこの社会に存在するエア・ポケットを生きる状況を描いているように映る。いや、ベストセラーになる作品だからいろんな読み方もあるが、少なくともぼくは主人公たちのように社会からはじき飛ばされて生きるしかない人たちに共感を持ち、ぼくだってまさにこの男主人公のように生きていてもいいのかなあとか思いつつ読みふけったものだ。たぶんだから、ぼくが誰かに人生の大事さを語るとするなら、これほどの「多言」(それこそ村上春樹がやってのけたように「小説」を書くほどの「多言」)を要しないと伝わらないかなあ……と思ったりもした。

