単純な生活

Life goes on brah!

2025/02/22 BGM: Suzanne Vega - Luka

今日は早番だった。今日も今日とて英会話関係のZoomミーティングにおいて、英会話の練習にいそしむ。今日の話題はいわゆる海外から来られる観光客をめぐる問題を可視化した「オーバーツーリズム」についてで、そうした外国人観光客向けにどうやってピクトグラム(イラストの一種)を使っておもてなしの心というか意思表示を伝えるかがおもな話題となる。そして、手厳しいかもしれないがそうした海外の人たちのエチケットとぼくたちのエチケットの違いについて、彼らの文化背景を「読解」「推測」するところまでも話がおよぶ。それから、過去にぼくたちがあたりまえのものとして持っていたさまざまなエチケットがいまどのように変容・変貌してきたかについても話し合った。たとえば公の場で煙草を吸うことはかつては映画やテレビなどヴィジュアルなイメージの流布によりカッコいいとされていたが、いまは「禁煙」「分煙」の時代。いや、裏を取ったわけではないのでぼくが知らないだけなのか、いまも実は変わっていないのかもしれないがでもすくなくとも前ほど表立ってスパスパ吸うことは考えにくい。ぼくは煙草は吸わないし吸うことがカッコいいとも思わないが(家に灰皿がない環境で育ったので、ぜんぜんそうした風習に染まる気配がないまま生きてきたのだった)、だが考えてみればこれはおもしろい話だ。もしくは、新幹線の中で「ワンカップ」なんか呑んだりするのもそうしたエチケットかもしれない。

10時から今日の仕事に入る。覚えておられるだろうか、さいきんぼくは宇野重規若林恵『実験の民主主義』という本をひと通り読ませてもらう機会があった。すこぶるおもしろい1冊で、とりわけその中でブライアン・イーノがからむある話(エピソード)が紹介されているのが目を引いていて、今日黙々と身体を動かして仕事にはげんでいた際にふとそのイーノの話が思い浮かんでしまい反芻することとなった。はっきり覚えていないが、ばくぜんと思い出すのはそのイーノが現代の都市デザインの領域においてデザイナーに求められる立ち位置(あるいは「心意気」)として、「建築家」より「庭師」のスタンスを保つようにと語っていたのだった。それはつまり、「建築家」は概して眼前の作品を彼・彼女の持つプランに沿って完成形に持っていこうとコントロールを徹底させんとするが、すくなくとも都市デザインにおいては眼前にあるもの(都市そのものやさまざまな人々のコミュニティなど)が徐々に成長・生育していくのをあえて「観察」「鑑賞」する心が大事だ、ということだ。これは「自力」でなんでもかんでも管理する考えではなく親鸞的な「他力」の考え方とつながるんだろうか……とかなんとか、まあ親鸞のことまで話の水平線を広げるのはさすがにやりすぎなのでまたおいおい考えるにしても、ともあれそんなことを考えたのだった。

眼前で進行・生成されていくものを眺めて、一種「ゆだねる」こと。もちろんぼくはデザイナーではないのでここからはかんぜんな「我田引水」「深読み」「妄想」の領域に入るが、若かりし頃ぼくはそうした広い心というか「庭師」の優雅な心なんて持ちようがなく、あえてこんな言葉を使うが「セコい」「めんどくさい」人間だったのでなんでもかんでも思い通りにならないとキレたり苛立ったり、あるいは端的にさじを投げたりしたのだった。だから、人の上に立てるようなタマでもなく誰かと共同作業しようとしても思い通りにならないとそれで「決裂」なんてことも日常茶飯事だったっけ。ゆえにこのイーノの実に深い洞察はまたしてもおもしろいことを教えてくれたと唸る。それをぼくの人生に引きつけてあれこれ考えるなら、断酒のこころみだってそんな感じで思い通りにならないぼくの意思をなだめてそこから、自分自身を観察して日々成長を見守る心意気で暮らしてきたと言えるのかなあ、とも思ったりする。

今日は職場において、これもまた日常茶飯事なことだが小学生のころの同級生に似ている女性を見かけた。そんな昔のことが思い出せることがなんだか不思議で、だがよく見ると別人のようでだから話しかけることもためらわれ、そのままになった。いや、それだけの話だ。だが、上に書いたこととこじつけていくならばそれこそ過去に酒に溺れて呑まれてとんでもない生活をしていたころは、心のなかでは「人生終わった」「死ぬまで無意味な暇つぶしを生きるしかないのだ」とうそぶいて、まだまだ30代だったというのに「気分はもうご隠居」な感じで暮らしていたのだった。そのころ、まだいまお世話になっているNPOの団体ともつながらせてもらっておらず、自助グループともグループホームともかかわっておらず、そしてそんなふてくされた心でぼく自身の方からあらゆることをあきらめて生きていたことを思い出す。いま、あたりまえのことだがぼくはもう孤独ではない。頭の中はこんな感じでなんだかおもちゃのようなアイデアがたくさんあって、それをここでこんなふうに書き記すと「あなた」がそれを楽しむ……そんな「あなた」こそ、ぼくからすればぼくの成長を見守ってくださっている「庭師」のような実に慈悲深い人だ。あれ? オチがついたと思ったが、でもなんだかわかりにくい、まぎらわしい文になってしまっただろうか。

なにはともあれ、仕事が終わって後図書館に行き佐伯一麦『ノルゲ Norge』を借りる。帰宅後はジャズを聴きつつ、『村上春樹雑文集』をめくって過ごした。なんだか疲れた。

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