単純な生活

Life goes on brah!

2025/02/17 BGM: The Chemical Brothers - Let Forever Be

今週のお題「自分の好きなところ発表会」

今日は遅番だった。今朝、時間があったので英会話関係のZoomミーティングに参加してそこで英語でやり取り。いつもは事前に提示されるDMM英会話のサイトの記事についてそれを議題としてあれこれ話し合うのだけれど、こんかいはたまたま割り振られたメンバーが初顔合わせだったのでまずは自己紹介をし合って、そこからどのようにして英語を学んでいるかとかなぜ英語を学ぶのか(それぞれの方のたゆまぬ動機づけというかモチベーションの秘訣がどこにあるのか)といったことを英語でざっくばらんに話し合った。ぼくもそれについて答えるべく、昨日町の図書館で借りたアーネスト・ヘミングウェイの英語の原書のペーパーバック『老人と海』を見せる。そして、理由の1つとしてありうるのがこうした本を原書で読みたいという好奇心があるからかなということを話した。

英語で読みたい、ということであればヘミングウェイにとどまらずもっといろんな作家や作品が存在する。いや、理由を話すとややこしくなるが村上春樹でさえ英語で読んでみたいと思ったりもする(またいずれ理由を書けたらと思う)。英語を学びはじめたばかりの10代のころ、ヘミングウェイも春樹も英語で読むなんてことはとうていできっこない、無謀のきわみだった。ご存知かもしれないが、実を言うとヘミングウェイの英語はシンプルかつ明晰をきわめた実にわかりやすくそれでいて奥が深いものである(だから、いまもってなおたくさんの読者を惹きつけている)。でも10代のころはまだまだぼくの中には英語アレルギーがあって、そうした長文を見ると頭痛さえ感じたものだ。でも、自分なりに「ボチボチ」「まったり」学びを楽しんだことで自分の中の「英語脳」の能力が向上したのか英文に慣れてきたのか、いまでは字面だけはそこそこ読めるようにもなったかもしれない。

その後朝食を摂りアパートを出て、原付バイクを飛ばしてグループホームの本家に行く。管理者の方が出勤しておられたので、まずあいさつをした後にいくつかのことを話し込む。というのは、実になさけない話を明かしてしまうことになるのだけれど毎日もらっている生活費を超えて「足が出る」出費をしてしまっていることを相談しないといけないと思ったのだった。敗因はいろいろあるのだけれど、もっぱらぼくが発達障害特性ゆえに衝動買いをしたり(夜中にコンビニでパンを買って食べる、など)、それ以外ではそもそも頼みの綱の昼弁当がなんだか値上がりしているようでそれも地味に痛い出費となっているようなのだ(コメ不足なのか、別の理由なのか……)。管理者(および副管理者)の方はいつもぼくの目線に合わせて話をしてくださる方で、それが非常にありがたい。その後は、日々書き書き記録をしている生活のスケジュール表をお見せした。そして管理者の方との話が終わった後、英語のメモパッドにメモを書いたり、それが一段落するとコクヨの使い古したノートブックを広げてそこにアイデアを落書き的にカジュアルに書いていった。

来週(だから次の次、つまり月末の)木曜、Zoomで数人規模のグループでざっくばらんにプレゼンテーションをするように頼まれている。ノートブックに書いたのはもっぱらそのプレゼンのためのアイデアだった。いったいなにを発表すべきか考えあぐねたのだけれど(発達障害のことや英語学習のことなど、発表したいことはあらかたやりつくしたのでさすがに「ネタ切れ」なのだった)、なんとかでっち上げたアイデアとしてはタイトルを「情熱大陸」ならぬ「忘熱大陸」として自分自身の生活と意見をフェイクなドキュメンタリー番組ふうに紹介するのはどうかというものだった。毎朝日記をこうして書きつけたり、あるいは(さっきも書いたが)英会話関係のZoomに出たりしているそんな生活を、ぼくなりにコメントを添えたりして伝えるのだ。なんだか自己愛(ナルシシズム)のきわみでもあるし、それ以前の問題としてあまりにも抽象的でなにがなんだかという話でもあるだろう(ごめんなさい!)。ともあれ、そんなことを書きつけた。

1時から仕事を開始して、仕事中ぼんやりぼくなりにこんなことを考えた。なんで英語なんで勉強し続けてきて、いまも続けられているのか。飽きもせずというか凝りもせずというかなんというか……このしつこい性格は誰ゆずりなのか。いまさっとでっち上げたアイデアとしては、たぶんそんなふうに語学を通して人とコミュニケーションを続けてきた動機としてはまさに他人とつながる・かかわることをあきらめられなかったからかもしれない。コミュニケーションの可能性、もしくは「コミットメント」(村上春樹)のたいせつさをあきらめられなかったから、と言うべきか。この日記でもいつも書いているけれど、おおかたぼくの認知のゆがみ・ひずみが原因とはいえそれにくわえて発達障害ありいじめっこに目をつけられたりしたことありでつらい・絶望的な人生を生きてきたことはたしかだ。でも、けっきょくそんな経験をしてもぼくは往生際が悪かったのだった。池澤夏樹的な口ぶりになってしまうが、硬軟取り混ぜた世界文学や哲学などを通じてぼくは世界はもっと広く、柔軟で優しいと感じてきた。だから、ここにいてこれを書いているまさにこのぼくという変わり者(エイリアン)を許容してくれるはずだ、と。いつまで夢見てるんだよ、的な話だろうか。でもこのロマンチストな性格こそ、ぼくの英語学習の継続の秘訣となっているのかもしれないなあとは思う。おお、きれいにまとまったような。