それで仕事を始め、ほんとはいけないことではあるのだけれど仕事中こんな私語・雑談にまつわる経験をするひと幕があった。というのは今日、外部のある会社から来られていた方が彼女が持っているサムソンだったかのBud3というイアフォンについて紹介してくれたのだった。そのイアフォンの中にはなんでもAIが搭載されており、それを使えばさまざまな言語を日本語や別の言語に手軽に翻訳してしまえるらしい。もちろんリアルタイムで。いや、こんなテクノロジーはいまや当たり前のことなのかもしれないが、ぼくはあいにく機械オンチもはなはだしくすっかり感心させられてしまった(でも、ぼくはそうした機器が発展しても個人的な楽しみとして英語の勉強は続けるかなあ、とも思った。理由はわからないけれど)。その後、このあたりは昨日雪が降ったかどうかという話になって昨日ぼくがここさいきん悩まされためまいやだるさの話をして、だから部屋で巣ごもりしていたのだと話したところ心配してくださった。ストレスから来るものだと思うから気長に向き合って精神科にも近々相談してみる、と話したところ、「なんでもなるようにしかならんからくよくよしたらあかんよ」と言ってくださった。
それでいったいそんなあたたかいコメントにどう応えていいかわかりかねてしまい、文字どおり固まってしまったりしたのだけれど、ついに「こんなふうに会話をしていてもなんて言っていいかわからなくなって困ることがあります」と観念してゲロってしまったところ、その方は「でも、エラいと思うよ。だってコミュニケーションをあきらめていないから。世の中にはもっと話せない人、そもそもはなからコミュニケーションをあきらめている人は大勢おるよ」とおっしゃった。もちろんとてもありがたいコメントだと受け取る。でも、「あきらめていない」とぼくが言えるんだろうかとかそんなことを考え始めてしまい、それで仕事中はそのことで頭がいっぱいになった。たしかに我ながら往生際が悪い性格ではあるのかなあ、とは思うにせよ……そうしたタフさ・しぶとさが自分の中にあるとするなら、自助グループに参加して恥をかいたり、日ごろ信頼の置ける英語学習仲間たちと英語で話したりしたことがぼくを鍛えてくれたんだろうと思う。いや、きっとそうだ。信頼の置ける仲間たちの前で失敗したことが財産となったのだろう、と。
そんなこんなで夜になり、毎週木曜日の恒例のZoomミーティングに参加する。今日のそのミーティングのお題は「ひょっこりひょうたん島」を素材にぼくたちが異文化に属する人たちとどのようにコミュニケーションしているか・すべきかという話から始まった。その後、この町にも国際化の波が訪れているという話になり、町ぜんたいの居心地の良さにも話がおよぶ。この町はたしかにちっぽけなひなびた田舎町ではある。不便といえば不便な環境で暮らすことを強いられてもいる。でも、いまはインターネットの時代。世界が平準化され「均されて」、そこそこ「イーヴン(平等)」なものになっているとも思う。昔だったら都会にいないとできなかったことがいまではこの地でもそれなりに気軽にというかノーリスクでできる。なんなら、このおんぼろのスマートフォンを使って明日からぼくがYouTuberデビューなんてことだってできる(いや、冗談ではなくそうしたことを薦められたこともある。でも、なさけないことにいまはこのブログの更新などで手いっぱいである)。楽しい時間を過ごさせてもらった。ありがとうございます。その後はテキトーにピーター・ガブリエルの名曲群をつまみつつ若松英輔『岡倉天心「茶の本」を読む』の続きを読んで過ごした。
