単純な生活

Life goes on brah!

2025/02/09 BGM: Eagles - Take It Easy

今日は休みだった。実を言うと昨日はおそらくくたくたに疲れ果ててしまっていたせいもあって、いつも眠る前に飲んでいる眠剤を飲み忘れてしまっており中途覚醒で午前3時に起きてしまい、そのまままんじりともせず朝を迎える。そして、そんなふうに寝ぼけた状態のまま日記を書いたりDiscordでチャットしたり、あとは日課の3本柱としてシャワーを浴びて朝食を摂って洗濯して過ごす。その後、英会話関係のZoomミーティングに参加してあれこれ英語で語らう。毎週日曜日はとくにこれといって話題を決めず自由に話す「フリートーク」の日で、こんかいはそれぞれのメンバーが自己紹介をしていく。ぼくも自分のいまの仕事や発達障害者であることや、さいきんの関心事項として英語で『ハリー・ポッター』を読んでいることなどを話す。

そうしているとある参加者の方が、こんなことを質問というか相談ごととして切り出された。その方のお友だちの話で、その方もまた英語学習にいそしんでおられるのだが内向的なキャラクターによりなかなか闊達に・アクティブに話せなくて困っているのだそうだ(だから会話においてもイニシアチブを取れず、日本語でさえも会話に入っていけなくて押し黙ってしまうという)。不謹慎に聞こえるかもしれないが、とてもおもしろい質問だと唸ってしまった。そしてこれを書いているまさにいまもこのことについて考えてしまっている。その方はそうした内向的というか内気なキャラクターを「克服」すべきなのかどうか。

ぼくもそれについてこんなことを答えた。ぼくも自分自身にまったく自信が持てず、したがって英会話教室やこうしたZoomミーティングにおいてもカジュアルに話せず、「日本語でもOKですよ」と助け舟を出していただいても固まってしまっていた。ただ、それを踏まえて思うのは個人的にはぼくは性格の欠点とは無理やり「克服」するべきものだとは思えないのだ。というのは、なんとかして「克服」せんと気張ることはそのままその人の尊厳というかユニークさまで完全否定することになるんじゃないかと思うからだ。だからその代わりに徐々にステップを踏んで、自分自身の性格を愛して受け容れていきながらほんとうに信頼できる寛容な方々といっしょに、失敗したり恥をかいたりしつつ英語なら英語の修練を積んでゆっくり向上していくのが大事なのかなと思っている。それこそそのためには、ぼくが参加させてもらっているこのZoomミーティングなんてうってつけではなかろうかとも思う。いや、ヨイショではなく本気で言っている。

その後、愛車バーニー(ぼくの原付。バーナード・サムナーやバーニー・サンダースにあやかってこう名付けた)を飛ばしてグループホームの本家に行く。路面にはまだ多少雪が残っていたり凍っていたりしておそるおそる走らなければならなかった。本家にて、グループホームの利用料を支払い生活費や医療費・貯金などの仕分けをほどこし、その後はめまいの話などをする。その後、昼ご飯を食べたあとは脳を再起動させるべくひたすら高いびきで昼寝をして、そして午後はどこかに行く気力も湧かなかったこともあって部屋でものぐさに巣ごもり。パール・ジャムイーグルスなんか聴いたりしつつ、村上春樹『約束された場所で』を紐解き読む。これはあのオウム真理教事件のあと、オウム信者たちに果敢にインタヴューをこころみて彼らに内在する真実をえぐり出そうとしたものだ。ただ、途中でLINEのオープンチャットにて恋の話が盛り上がっているのを目にし、なんだか気になり、そもそものぼくの持ち前の尻軽な性分もあってそっちに入り込んでしまう。

前にも書いてきたことをまたぞろなぞってしまうのだが、ぼくはほんとうに疑り深い性分であることに加えて子どものころから嫌われ者であって、そのことが重なってしまい初恋についてよく思い出せないというのが実情である。たぶん初恋を抱いても「これは恋ではない」「こんな邪悪な感情はぼくのような嫌われ者は持っちゃいけない」と思ったんだと思う。そんなこんなで40になり、そこである女性にワンサイド(まったくもって片思い)な恋心を抱き、なんだかそれこそ「嵐」のようというか怒涛の恋の日々に燃えたりしたのだった。いや、なんだか春樹『スプートニクの恋人』みたいだが……そんなファニーというか面白おかしいことを経験して、このこざかしいというか猪口才なぼくの固定観念がくずされ、腹から自分を見つめ直すことができた。それは恋のもたらした効用なのかなあ、とも思う。

そんなこんなでそうした恋バナを楽しんだあと、中島岳志アジア主義』という文庫本をめくって読み進める。この大著ともしっかり向き合わんといけないなあと思い、でもなかなか果たせずにいるのだった。いやほんとうに、アジアの一国で暮らす人間としてぼくになにができるか。あるいは、そんなだいそれたことなんて考えるべきじゃないんだろうか、なんて。アジアンなポストロックをつまみつつ、消灯時間までそうした考えごとにふけって過ごした。