でも、実を言えば……実際のところもちろんそうした「合理的配慮」はきわめてぼくにとっては魅力的で重要な概念として映ったし考え方において共感もしたが、でもなんだかそれこそ「絵に描いた餅」としか思えなかった。したがって、「わかるけど、でも夢物語だろう」「寝言は寝てから言うものだ」と思って自分なりにすれっからしの冷笑主義者・リアリストを気取ろうともしたかもしれなかった。もちろんぼくは発達障害者で、だからこそケアないしはサポートを必要としている(ただ、ある意味では「誰もが」サポートをそれぞれの人生で必要としているし、そのサポートの重要性をその「合理的配慮」という考え方にもとづく実践は満たすと思うがそれについてややこしく書くのは控えたい)。だけどそんな「うますぎる」アイデアは同時にとてもワガママなアイデアのようにも聞こえたのだった。だって、「ぼくは発達障害者です。配慮してください。ぼくは配慮に値する存在です」とかなんとかかんとか、言うということになるのだから。大胆で勇敢で、別の言い方をすればどこか厚顔無恥な響きも帯びたこの考え方はたぶんくだんの前任ジョブコーチとの出会い以前のぼくだったら「却下だ」「あきらめよう」となっていたかもしれなかった。
なんにせよ、事実としてぼくたちは出会った。その後、その自助グループの活動を楽しみその過程で味噌汁づくりをしたりエバーノートなどのアプリを使ってタスク(あるいはスケジュール)の管理を倣ったり、絵本でADHDの特性を学んだりもしくはたんなるおしゃべりに興じたりとあれこれ面白い活動をこなしていくこととなった。それをとおして、ぼくは発達障害を手ごたえのあるものとして学んでいくこととなり、やっと自分自身を肯定し自信を持つことができるようにもなりはじめたのだった。そしてぼくの職場でジョブコーチの制度を利用できないかあれこれ働きかけることとなり、ぼく自身なんにもわからず試行錯誤してあれこれ海のものとも山のものともつかない制度について会社と必死に・ぼくなりに口八丁手八丁で交渉することとなる(なにせ、こんな田舎でジョブコーチを利用している人なんて聞いたこともなかったのである)。いやもうここまでくるとやぶれかぶれもいいところだが、なんにせよ渦中にいたぼくは過去いじめに遭ったりしたせいもあって無力感にさいなまれていて「話が我ながらうますぎる」「まあ、ダメだろうけれど」とかなんとか思ったりしながらそんな交渉をしていたのだった。でも、そうやって蓋を開けて10年自助グループの活動と向き合ってみれば、そんな感じで「うますぎる」話に聞こえたジョブコーチ利用もグループホーム入居も実現した。ああ、なんだかプリファブ・スプラウトの歌の世界のようなポップな、バラ色の10年間のようでもあった。
そのジョブコーチの方との出会いがもたらしたものが少なくとも・実に忘れがたいものとしてもう1つ。それはその方は英語教育にたずさわっておられたのでひょんなことからぼくの英語をご覧になって、「きれいな英語ですね」と感嘆されて英語を学びなおすことを薦めてくださったのだ。ああ、あの出会いがなければ、あのひと言がなければ……夜になり、Zoomでの友だちとのミーティングに参加してそこで姫路城に関するプレゼンテーションを聞かせてもらい、その方が熱心に取り組んでおられる英語学習についていろいろ教わる。その興味深いミーティングが終わって後、過去のことをぼくなりにぼんやりとふたたび振り返る。ああ、生まれてきたことを死ぬほど後悔し、それこそ死にたいとばかり思って生きていたあの20代・30代。あのころは酒でしかこの希死念慮は癒せないと思っていた(ので、酒で死ぬというか酒で「殺される」しかないとまで信じ込んでいたのだった)。が、しかし……いまはこんな感じで居心地いいグループホームに落ち着かせてもらい、会社や私生活でいろんなことが言えたりできたりするようにもなりはじめたのだった……なんともヘンな人生だ。だが、まだまだこれからも「ウィンウィン」の関係性をどう会社や私生活で築けるか、そんな事を考え続けられたらと思ったりもしている、という感じで日々は過ぎる。