その後、9時になりイオンが開く時間になったのでイオンに行った。とはいえなんらやるべきことなんてなく、未来屋書店を冷やかしても買いたい本もなく……それで、フードコートでノートブックを広げて月末木曜日にZoomで行うプレゼンテーション(題はなんとなく「忘熱大陸」で固まった)の草稿を書いたり、小説のことを考えたり英語メモを書いたりする。その後、いったん自部屋に戻って弁当を食べる。そう、こうして食べている弁当をなんとか自力で炊いたご飯に変えられないか、味噌汁を自分でつくったりおかずを料理したりできないだろうかとそれこそぼくの持つコネを総動員して、グループホームの管理陣や元ジョブコーチと連携したりしてがんばったのだったが早番・遅番の勤務シフトの不規則さゆえについに挫折したのだった。
午後になり、1時半から控えているミーティングのためにグループホームの本家におもむく。くだんの木曜日の「忘熱大陸」の草稿のできかけをお見せしたりした後、ゲストの方とグループホームの管理陣をまじえていろんなことを話し合う。さいきんあっためまいのこと、新しいジョブコーチとどう連携を取って仕事をしているか、そしてグループホーム管理陣の方々のきめ細かな協力・支援のもとプライベートな生活をどう暮らせているかといったことが話題にのぼった……なんだかアホみたいな話に聞こえると思うが、でもそんなかたちでワイワイ話し込んでいた時になんだか「これってなんだか夢みたいな光景だなあ」とも思った。というより、前にも書いたかもしれないけれどなんだか眼前に広がるあらゆる光景(目の前に、発達障害について理解される方々がこんなぼくの話を親身に聞いてくださっているという端的な事実)が映画『マトリックス』みたいな話というか……シンプルに言えば夢あるいはまぼろしみたいだとも思ったのだった。20年前、まだ発達障害と診断されて間もなかったころ「こんなこと」が予測できるわけもなかったのだった。時は流れる。
そしてそのミーティングが終わった後、時間があったのでYouTubeのビデオを鑑賞する。というのは、Discordでつながらせてもらっている海外の友だちが「興味があればと思って」とメッセージでリンクを送ってくれたのだった。それはYouTubeをとおして日本語と日本の(暗部もふくめた)リアルを配信するある男性が、日本において発達障害者としてどう生きざるをえなかったかということを語ったものだ。めったにYouTubeを観ないぼくにはそのビデオの出来を評価するだけの審美眼・素養はないが、「虚飾を排した」というかごまかしを削れるだけ削って「シンプルなこの語り手の真摯な・ナマの真実のみで勝負した」というか、そんな内容に胸打たれた。いや、1度しか観ていないしぼくの英語力では理解がおぼつかないところもある。でも、これは唸るしかないと感服したこともたしかだ。ぼく自身も発達障害者として生きてきて、この配信者の意見には異論もある。この社会やこの国にたいしてまた違った意見を持つ。でもそれはもちろんこのビデオが愚作だということをなんら意味するものではない。いまだなお、彼の語りが忘れられない。
その後、英会話教室の課題の英作文を書く。迷ったのだがまあいいかということで上に書いた『マトリックス』やYouTubeビデオの話をしたためた(なんとも、「やっつけ仕事」のきわみみたいな話だ)。その後英会話教室におもむき、そこで今日は英語の「オノマトピア(擬音)」について学び、メンバー同士で語らった後ゲームに興じる。夢じゃないとすれば、こんななごやかな時間を過ごさせてもらえることを奇跡と呼ばずしてなんと呼んだらいいんだろう。
