さいきんになり、こんな興味深い言葉をあるDiscordのサーバで教わることがあった。「ベイビーステップ」というもので、つまりは赤ちゃんが歩む一歩のような小さな達成を日々積み重ねることこそが大きな達成をもたらすということになる。ゆえに、最初は小さくたっていい。拍子抜けするものであってもいい、とさえ言える。ぼくの場合なら、今日1日を酒抜きでまったくシラフで過ごすこと、それを積み重ねることが文字どおり大成功である。過去、妄想にとらわれたり劣等感(コンプレックス)でおじけづいてしまい身動きが取れなかった、それこそ文字どおりヘタレだったころのことをぼくは思い出す。名無しの弱者男性にすぎなかったぼくはそれこそなにもできず、実施・試行に移る前からリスクを考えてしまったりみっともないと身構えてしまったりして、つまりは内的な恐怖と戦わねばならなかった。それで結局は「なにもできない自分」「無力感」を持て余してTwitterで、それこそ「吠えた」のを思い出す。陳腐なたとえになるが、著名な批評家や作家を野次ったりとことんディスったりしたのだった。でも、少なくともぼくの場合はそうすることが塩水を飲むようにどんどん「承認欲求」と「むなしさ」「無力感」にとらわれる悪循環を意味して、酒抜きではいられなかったのだった。
過去の自分にいったい、どんなことをアドバイスとして言えるだろうか(言うべきだとしたら)と考えてしまう。「黙って、なんでもやりたいことを思う存分やろう!」と? でも、これがぼくのようなねじれた自意識の持ち主にはむずかしいことでそうしたメッセージはとても「強すぎ」、また「きれいすぎて」響く。ひねくれているので、「成功者だからそんなことが言えるんだ」と思ってしまうだろう、と思うのだ。言い換えればなんでもやってみる前にあれこれ思い悩んでヘトヘトに疲れ果てて絶望してしまっていた過去の自分と、いまこうして曲がりなりにも破れかぶれ・満身創痍で恥をさらして生きている自分との間にはとても高い壁があるとも思う。なにもできない、どうせやっても時間のムダ、金もない、モテないしブサイクで……とかなんとか考え込んでドツボにはまっていた自分がいた記憶をぼくも持つ。きれいごとではない。ガチで言っている。そんなふうに鬱屈して着込んでいたというか、武装すらしていた自分の武装を解除して身軽にしていく作業が必須だったのだ。それこそ、さっき書いてしまった「ベイビーステップ」の要領・心意気で、少しずつやりたいことをやりやすいところからコツコツと。
いま、ぼくは自分の中にメンタル面での力(フォース)があると思っている。つまりはプライドというか、自尊心・自尊感情と呼べるものだ。矛盾して聞こえると思うけれど、それはぼくがパーフェクトな人間だからではありえない。むしろ、ぼくはそうした力があると思うからこそこうして自分の恥をさらすことを恐れなくさえなってしまいもした。弱くてヘナチョコで、気分にムラッ気があってでたらめなぼく自身について……そんなことをあれこれ書いていたら、今日の夜のことを書けなくなってしまった。夜、仕事終わりにZoomである方の九州旅行の話を聞かせてもらって、とても興味深かったのだけど……そういうこともあるのだった。申し訳ありません。