過去を振り返ってみて、ぼくの学生時代(スクール・デイズ)とはとても灰色で不毛な時期で、2度と戻りたいとは思えないシロモノだ。その時代から人生に絶望していたぼくはどんな色恋沙汰・ロマンスともまったくもって無縁で、ただ暇つぶしに本を読んだり音楽を聴いたりして「青春ってくだらねえな」「みんななんで恋愛なんて妄想にふけって生きているんだろう」「ぼくを生んだのは両親のエゴだったんじゃないか」とかうそぶいて生きていたのだった(軟式globeではないが、つくづくこんな過去の自分を「アホだなぁ」と思う)。だが、そんなこともあるのである。もしかしたらそんなふうに根暗・陰キャだったぼくを陰でこっそり愛して・恋してくれたクラスメイトもいたのかもしれなかった。もちろん、それはもういまとなっては誰にもわからないことだけど。
いま・この立場から言うに、実は過去において後悔していること、もっと「ああしていたら・こうしていたら」と思うことはない。まったくない。でもそれはもちろんぼくの学生時代が文句のつけようのない・非の打ちどころがないシロモノだったからではない。そうではなく、ぼくはその時においてできることをしつくしたからであり、別の言い方で(もっと正確に伝わるように祈りながら)書くならそのころ「精一杯」に生きたことはたしかだからだ。少なくとも、いまなら別の可能性をあれこれ考えつくとはいえ当時まだインターネットが市民権を得ていなかったあの時期においてぼくは精一杯のことをやった、としか言いようがない。「いま」、あの頃を振り返って思う。ロマンスはおろかキスもしたことがなく、異性愛者として女性と手をつないだこともハグしたこともなく、映画も観ずなにも楽しいこともせずな日々だった。せめてもう少し英語をマジメにやっていたらなあ、と思ってみたり。でも、そんな「ないものねだり」をあれこれやると逆に自分の弱さ・いたらなさを忘却の彼方に塗り込めてしまいそうでこわい。
ときおりDiscordなどでぼくのところにメッセージが来ることがあるが、基本的にはぼくは文字どおり「ろくすっぽ」「まったくもって」なんにも成し遂げたわけでもない、ただのアルコール依存症の発達障害者である(そしてもっと言えばただの「凡人」「エッチなおっさん」に過ぎないのである)。だが、そんなふうになんらこれといって威張れたところなんてないにしても、ぼくはその時々においてやらないといけないことをやってきたことはたしかかなとは思っている。いや、人から見れば「もっとうまいやり方があった」とか「それは間違っている。こう生きるべきだった」とかもっと正しい・現実主義的な生き方はあっただろう。でも言わせていただきたい。やりたいこと、やるべきこと(この脳で思いつくかぎりのこと)はやった。だから後悔はとくにないのだった。パーフェクトではまったくないにしろ、とうてい華麗でもなくかっこよくもなかったにせよ、ただ「見えない感触」として満足感を覚えている。
夜、職場でひと仕事終えてグループホームの自室に戻ってくつろぐ。しばらくそうしているとグループホームの管理者の方が電話をかけてきてくださった。なんと! 今日は夕食は予定していたバーベキューだったというのである。すっかり「ど忘れ」してしまっていた(これが発達障害である)。さっそく本家に赴きそこで夕食を摂り、その後満腹感に満足して深々と眠ってしまう。毎日毎日仕事したり英語と戯れたり美味しいご飯を食べたり、後悔にふけるヒマ(あるいは余裕)もなく、日々は続くのだった。