今週のお題「大人になってから克服したもの」
今朝、いつものZoomでの英会話関係のミーティングが終わったあと、町にあるとある公共施設に赴く。着いてみるとすでに他のメンバーがぼくを待っていた(といっても、ぼくがそう遅刻したとか待たせたとかいうことではなかったようだ)。会が始まり、ぼくたち参加者同士がいったいどのようにして日常生活を過ごしているかをそれぞれ語る。新メンバーの方々も自分のことを話す。いつもながらこのミーティングはぼくにとって実に喜びに満ちた、まさに「ありがたい(有難い)」ものであるということを再認識した。その場において、ぼくの女友だち(そして、このグループの「代表」役)がぼくにいつ・どの時期がぼくのこれまでの人生においてもっとも辛かった時期だったのかを尋ねられた。それについて、とっさになにもいい答えが出てこなくて往生したもののあれこれ考える。思いつくのはあれはぼくが30代のころのことだろう。当時、会社における前の部署にいた時のことだ。他の方々が難なくこなせるマネージャーからの指示がぼくだけこなせず、それどころか文字どおり「足手まとい」「お荷物」になるばかりでまったくもって役に立っていなかったことを思い出す。だからそんな苦しみの中でついに、なんでこんなに「グズ」なのか、なんでこんな「異端」「邪魔者」なのかをあれこれ悩み始めたりもしたのだった。それはとどのつまり、ぼくが生まれてきたこと自体に意味もクソもなく、したがっていなくてもいい無益なゴミみたいな存在なのではないか、なんて。
その時期に、いまのような知恵とパーソナリティを以て生きていたらどうしていただろうか。そうだったらたぶんジョブコーチや就労支援に関するさまざまな施設を利用していただろう。会社を辞めることも視野に入れつつも、とりあえず会社の中で発達障害とはどんな障害なのか設営することを試み会社に訴えかけることも1つのやり方として検討したはずだ(そして、この機会にぼく自身も自分の障害特性について学び直すはず)。より平たい、わかりやすい言葉で……だが、あの時期とはぼく自身でさえも発達障害のことなんてろくすっぽわかっちゃいなかったのである。少なくとも人(会社、そして当時同居していた両親)にていねいに説明し、相手の信頼を勝ち取るようなコミュニケーション能力なんて持っているはずもなかった。いや、まあありふれた昔話に過ぎない。その後いまの月イチのミーティングを開始して、そこから自己理解に励み、幸せの意味・定義を自分なりに編むことにつながっていったのだった。
とはいえ、こんなことを「蒸し返している」からといって決してぼくがあのころの会社に対して怒っていると思ってもらっては困る。奇異に思われるかもしれないが、そんなふうに会社に20年越しにいま恨みつらみをぶつけたいと思ってこんなことを書くのではない。20年前とはまだそんなふうな感じで、発達障害の概念や考え方について学んだり説明したりするにはぼくたちにとってはいまだ充分「熟して」なかったということになる。そんな感じだから会社も「アスペルガー症候群?」ときょとんとするしかなかったのではないか(ぜんぶこのぼくの推測に過ぎないが)。だが、そんな「アスペルガー症候群」はいま「自閉症スペクトラム障害」とも呼ばれるようになり、たんに変な・アブノーマルな特徴を指していたのが少しずつぼくたちの脳の特性のありうる一形態として(むずかしく言えば「スペクトラム」の線上に位置づけられるかたちで)理解されるようになった。発達障害の市民権がようやく認められるようになり、いまやどこででも見られる概念になりつつある。
いま、ぼくは幸福という概念の核(コア)にあるものを語れる。誰のマネもしなくてもいい、自分が自分としてありのままに認められ・尊重されることなんだろう、と信じている。