跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/09/17 BGM: たま - 満月小唄

今日は早番だった。今朝はまたZoomでの英会話関係のミーティングに出てそこで英語であれこれ話をする。今日の話題はどうやって長期休暇から職場に復帰するか。その席で、ある方が「グラティチュード・ジャーナル(日本語に訳すと『感謝日記』となろうか)」について教えて下さった。日記にその日その日、1日の終わりごろにあったことでその中から「感謝したいこと」を書き残すというのが骨子らしい。そう言えば先週水曜日にお会いした方もこうした書き残すことを薦めて下さったことを思い出した(その方の場合は「5コラム法」あるいは「3行日記」についてだった)。そうした試みはかならず療養・自己治癒につながると。それはぼくもわかる。書くことはそうして薬になり、鎮痛の役割を持つということが(思えば文学の歴史とはある角度から振り返ればそうした自己治癒の試みの歴史ではなかったかな、と暴論をぶってみる)。

回想ブログ『宍粟画』において、まさにあれこれ思いつくままに(なんだかこう書いてみると吉田健一みたいだ……いや、まったく足元にも及ばないにせよ)ぼくは断片的な思い出話を書こうとしている。だが、それはかならずどんよりと暗くて重々しいトラウマにも言及することになるはずでそれが怖い。とりわけ、あの日のことは残しておきたいとは思っている……あの日、ぼくは帰宅しようとバイクを走らせていて「もういいじゃないか」「もう充分だ」とつぶやいてしまって、そして職場から逃げて大量に薬を服用してしまい「逃げて」しまったのだった。だが心配ご無用。というのは、それからしばらくして(この日記でもおなじみの)ジョブコーチとの出会いやその方の薦めによる英語学習の再開、そこから宍粟市国際交流協会を通じたさまざまな方々との出会いといった宝のような思い出話がザクザク出てくるからでもある。

仕事が終わり、グループホームに戻る。母がLINEを送ってくれて、それで今日が「中秋の名月」が堪能できる日だと知った。いや、前もってそうした月が見られるとはわかってはいたけれどまさかまさしく今日のこととは知らなかったのだから暢気な性格・性分もここまでくると我ながらあきれる。ぼくが住まわせてもらっているマンションの部屋からは、曇っていた感じだったとはいえ実に魅惑的な月が見られたのでさっそく写真を撮り母に送り、父にも送り、そしてDiscordやMeWeを通じて友だちにも見せてしまった。

その後、回想ブログの次の断片的な記事を書こうかなとも思ったのだけれど日中の仕事で疲れ果てていたこともあって、情けないことにまったくやる気が湧かない(心のガソリンにガス欠が来てしまったのだった)。だからしょうがないのでTwitterを開き、タイムラインをダラダラ閲覧して過ごす。そこで気になった意見としては知られるようにすでに真田広之が達成したエミー賞受賞の偉業がある。だが、もちろんそれについてぼくはしたり顔であれこれ語れるようなタマではない。彼の作品を追いたいと思った。

グループホームが定めたいちおうの消灯時間まで(「いちおうの」と書くのは、恥ずかしくもしょっちゅうぼくは破ってしまうからなのだが)、自由時間(「じぶん時間」と書くべきか)をリービ英雄『日本語の勝利/アイデンティティーズ』を読み返す。なんだか……自害に及んだ時はなにもかも終わった、人生に見放されたとさえ思ったものだったがそんなことはなかったのかなあ、と思う。少なくとも新たな出会いがあり、グループホームに住まわせてもらうこともあり、英語だって「昔取った杵柄」ではじめることにもなり、そこから夢中になれることを見つけられたりもした……そう考えると人生ってわからないなあと思う。ああ、「時代は変わる」ものなんだなあ、と。