実を言うと今日の約束は前もってその副管の方ならびに来訪された方からオファーされていたにもかかわらず、ぼく自身の怠慢・手元不如意によりまったくもって事前に準備ができておらずしたがっていざ話そうとすると頭の中が真っ白になる始末で恥ずかしかった。だが、つねづねぼくのことを支えてきて下さったそのお2人の提案やアドバイス(助け舟、というやつだ)によってぼく自身がどうしたら働きやすくなり、かつぼくのままでいられるのか、どうしたら自然体で仕事ができるのかが見えてきてありがたいと思い、かつぼくも正直に気兼ねなくあれこれ心の底にわだかまっていた考えや意見を述べることができた。さいきん起こったできごとについても話すことができた(書いてきたとおり、まず親知らず抜歯がありその後目まいがあり、あれこれゴタゴタを経験せざるをえなかったというような話である。なんだか悪い夢のような話だった)。
その後、その仕事の悩みのことから派生してどうやったら心持ちをスッキリさせられるかという俗に言う「ライフハック」「創意工夫」の話で盛り上がった。つまり、ぼくの中にはある程度認知の歪みもありうるのでそれをどう整理整頓し、ノーマライズさせていけばいいかという話である。相手の方が3行日記や5コラム法を書くことを薦めてくださったので参考にしたいと思った。ぼくはここさいきんハマってしまっているこまきときこ『つれづれ語学日記』について話す。この漫画においてこまきときこは英語を学ぶことが1つの有用なメソッドとして働きうると説く。人生はそんなにヤワなものではないが(ぼくだってトラブルは経験せざるをえなかったし、これからも落ち込むことは山ほどある)学び続けることは自分が成長・前進していると感じられる手がかりになりうる。
午後、時間がありしたがってこれまでこの日記において書いてきた「回想録」を書くべきかと思ってあれこれ試してみたのだけれど、肝心の最初の1行がどうしても出てこない。雲をつかむような感触しか残らず、だからあきらめてしまって冷泉彰彦による『911 セプテンバーイレブンス』をちょろっと読み返す。そう、今日はアメリカ同時多発テロ事件の日。ぼくの人生にとって実に悲惨な1日だった(いや、根拠は出せないがおそらく誰にとっても不幸な1日、悪夢のような1日であったはずだ)。なぜテロリストは無辜の市民を狙ったのか。考えるに、ぼくはどこにいるのだろうと思う。「殺される」側として存在するのか、それともぼくは誰かを「殺す」側なのか。ブンブンサテライツがチャックDとコラボして生んだ曲を思い出す。タイトルをぼくなりにつたなく和訳する。「おまえのリアリティはしょせん夢物語だ。だが、その夢物語がまさにいまおれを殺す」
夜、断酒会に久しぶりに参加した。その後きっかけを得たのでぼくはついに『宍粟画』を書いた。不定期の更新(週イチもしくは月イチ、みたいな?)になるかと思う。URLを載せておきます。