そんなことを考えていると突然に、こんなことに思い至った。この頑固で歪んだ認知をよりベターなものに「矯正」していくことはできないだろうか。この自動的な・システマティックな考え(すぐ「死にたい」「死のうか」とまで思い至る考え)をベターなものにしていくことは不可能だろうか。つらつら考えて、偏見や認知の歪みによって制限されネジ曲がってしまっている考えを矯正・リフォームさせるツールがありうることを思い出した。日本で確かそれは「コグトレ」と呼ばれていたはずで、時間があれば調べられたらと思いそのことをジョブコーチやグループホームの管理者の方にもLINEで伝えた。
たとえば、ぼくはいまでもさまざまな「仮想の」というか「識閾下」「無意識」の声を聞く。そいつらはぼくをかき乱す(上に書いたように、ぼくを確実に自殺・自裁へと誘惑しさえする)、自虐的な要素としてぼくの中にありうる。聞こえる……「死ね」「帰れ」「消えろ」とか。あるいは、他の人がぼくを見て冷たい態度を取るように感じることもある。敵だ、とでもいうように(証拠は示せない。ただ、そういう印象を感じてしまう、というだけだ)。こうしたバイアス(偏見)からの認知はいつもぼくを意気消沈させる。
その昔、この傷ついた心をぼくは薬で直そうと努めた。とりわけ、強い薬ならイッパツで・ドッカーンと解決させてくれるだろうと信じ込んだ。だが(いや、これは可能性にすぎないのだが)、もしかしたらあらゆるぼくの問題はこの「認知の歪み」、引いてはぼくの世界認識にありうるのではないか。だとしたら、時間はかかるが(ゆっくりと、ていねいに向き合わないといけないが)希望はありうる。この人生をあきらめたいという虚無から救われる可能性が。でも……そうしてバイアスを矯正することはいいことなのかなあ、と思ってしまいもする。というのは、その歪みこそがぼくのこの哲学的な・深い考えのブースター(加速器)であるかもしれないな、と思ったのだ。いや、そのことを頭のどこかで考えている。
夜、グループホームに戻ってから高橋源一郎『DJヒロヒト』を読み終える。ああ、実にこの著者が成し遂げた仕事はマーベラスだ。たくさんの古典的書物を主にソースとして、このミックスを作り上げた。すばらしいDJというか、マエストロの仕事だと思った。