跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/03/27 BGM: Venus Peter - Life On Venus

とても晴れた日。今朝は図書館に行き、ジュンパ・ラヒリの本『べつの言葉で』を借りて読んだ。この本はぼくがときおり読み、そして英語を学ぶ動機を高めている1冊だ――ラヒリがこの本で綴っているのは彼女のイタリア語学習なのだけれど。ラヒリはどのようにして彼女がイタリア語と「恋に落ち」、そしてイタリアに移住し、イタリア語で執筆を始めるようになったかを誠実に綴っている(イタリア語で記された彼女の掌編も収められている)。

この本で開陳される彼女の回想を読み、彼女が自身の試みについて「亡命」という言葉を与えているのが目を引いた。ぼくのケースはどうだろうか。ぼく自身が10代だった頃、この日記でさんざん綴ってきたことでもあるけれど、ぼくはすでに人生に深く深く混乱し絶望していたのでただ本を読む以外のことは何もしていなかった(それこそ、毎日毎日「春樹ワンダーランド」の住人になりたいとさえ思ったものだ)。だからなんで英語を学ぶべきなのか、その意味も理由もぜんぜん腑に落ちなかった。だからラヒリの用語を使うなら、ぼくは日本語の言葉の中ですでに「亡命」していたのかもしれなかった。そんな感情を自覚的に持っていたわけではこれっぽっちもなかったにせよ。

日本社会においては、そこかしこにいくらでも「英語」を見つけることができるだろう(和製英語も含む)。日本はそんな感じで「英語フレンドリー」な環境を内包した社会だと思う。ぼくがそんな感じでとても孤独だった10代の子どもだった頃、日本のバンドの英語の歌に触れて英語に親しみ始めたことを思い出す(フリッパーズ・ギターやヴィーナス・ペーターといったグループがその代表格だ)。ある意味では、ぼくは心理的にはそんなふうな感じでジプシーだったのかなとも思う。どこにも所属する母国・居場所を持てず、居心地の良いところをもとめてさまようばかり、というように。

でももちろん、それは間違っていたわけで……そんな「流浪」が可能だったのはそもそもぼくが思考のベースにはっきりした・安定した母国語を持っていたからだ。日本語だ。そして、それはあまりにも自明だったから見えなかったということなのだと思う。日本語の源に浸かってながら、そのすばらしさについて感謝することもついぞなかった。もちろん、住む国や語る言葉を選ぶこと、あるいはそこまでいかなくともどれを愛するかを選ぶことはできるだろう。でも、そんな10代の時代に日本語の館の中に住みながら、ぼくは一人ぼっちの戦いを強いられていた。ラヒリのイタリア語を学ぶ態度にぼくは文字通り「眩しさ」「まばゆさ」を感じる。ぼくはそんな「眩しい」態度をついに持てない。皮肉でもなんでもなく、満身の嫉妬を感じてしまう。