でも、次の日曜日のそのミーティングでぼくたちはとても丹念にその文を読む。だからほぼすべての単語について何を意味しているのかを知っておかなければならないのだった。いったいぜんたい、この語は日本語でどういう意味なのだろうか。たとえば……実に気軽に日本の日常会話で使っている言葉であるにもかかわらず、ぼくは「コスチューム」がどういう意味なのか思いつかなかった。ああ! コスプレという言葉の中にも含まれ、すでに日本語になっているにもかかわらずぼくはそれが「衣服」「衣装」を意味すると調べなければならなかった。そんな感じで、今朝の時間をめいっぱい使ってたった1ページの記事を精読しなければならなかった。
その「コスチューム」だけではなく、その文全体を読み進めるべくぼくは文字通り「満身創痍」の思い。日本のさまざまなシチュエーションで見られるように、ぼくたち日本人は単純な英語をいろんなところで気軽に使う。しかし、たとえば「ビバレッジ」や「カルト」といった言葉の意味を思い出そうとすると、いったいこの言葉が「やさしい日本語」でどういうことを意味しうるのか理解し直さないといけない。辞書を丹念に引いて読んだのだけど、少し汗ばむ思いさえしてしまった。
午後になり、そんな感じで実に英語の精読という作業(渾身の努力が求められるハードワーキングな作業だ)をしてしまったせいか、のんべんだらりとゴロゴロ横になって過ごしてしまう。ベッドで昼寝をして、その後夕食を摂って、夜は断酒会に行く。そこでメンバーがそれぞれの個人的な経験談を話す。ぼくは今朝の活動について話した。英語の精読のことだ。その後、呑まれていた頃のことを話したりもした。
幸せの意味とはなんだろう。他のメンバーたちがそんなことを話していた。ぼくは断酒を始めてから少しずつそんな「確かな幸せ(前に流行った言葉で言えば『小確幸』ですね)」のことがわかるようになってきた。この人生は後半戦かもしれない。でも、英語を学ぶことや書くことは続けていきたいと思っている。