今朝はいよいよ明日に控えた英会話教室の宿題の作文として、1枚の紙に自分の思いを自由作文としてしたためた。その紙において、先生たちにお伝えしたのはこれまでにも書いてきたあるインドネシアの友だちの訃報のことだ。いや、もちろんこうした話題はカジュアルに・気軽に宿題として読んだり楽しんだりするにはシリアス過ぎる。ヘビーだ。でも、他に書けることもなさそうだったのでしょうがなかった。できるだけ正直に自分の思いを書きつづった。
彼女の寛大さ・優しさについて思い返し、彼女との思い出を思い出し……他にもいろんな親愛なる友だちに出会ってきたことを思い出す(とはいえだんだん、このポンコツな発達障害の脳はいろんなことを忘却の彼方へと流し去っていくのだけれど)。この人生で築き上げてきたコネクション・つながりについて思うに、最終的にぼくはこんな事実に思い至る。なんとも、この人生は謎というか驚異の産物なのだな、と。ぼくの好きなバンドのプリファブ・スプラウトに倣おう……「人生は奇跡だ」と。
その宿題の作文をしたためたあと、昨日もらった新聞のスクラップ記事を読んだ。日本人にとって英語を学びペラペラになるということがどれほど難しいかを語ったもので、理由としてはやはり英語と日本語が根本的に異なった言語であることが挙げられよう。1月28日の神戸新聞の江利川春雄のインタビュー記事なのだけれど、言われているのは文字や発音や文法が完全に異なった言語であるという事実だ。この記事に同意する。ぼくの英語はいいんだろうか、悪いんだろうかといまでも思い悩むこともあるのを告白しておきたい。人は時にぼくの英語をフォーマル(形式張った)、つまりAIが話すような英語だと言うことがあるのだけれど(AIはこんなアホみたいなミスを性懲りもなく繰り返したりするわけもないので、それはやはり違うと思う)。
その記事はまた、さまざまな過去の日本の知識人たちの英語教育に対する情熱についても語られていた。ぼくが持っていた確かな情熱について思い至るーー自問する。ポール・ウェラーを引くなら「おれの炎は消えたのだろうか」と。昔(といっても1年も経ってないけど)、この町に住む人たちと外国人をつなぐような「橋」のような人間になれたらいいなと、実に不遜な野望を煮えたぎらせたのだった。そして、思う。「日暮れて道遠し」ではあるにせよ、そうした「橋」になろうとしてこれから生きていくのがぼくのミッションなのかなあ、と。