跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/30 BGM: Massive Attack - Be Thankful For What You've Got

今日は休みだったので、いつものように朝の自由な時間、さわやかな空気を満喫するためにイオンに行く。お供としてウィトゲンシュタインの文庫本『青色本』を持っていき、フードコートで読んだ。これまでに1度読んできた本だったのだけれど、実に新鮮な読書体験を味わうことができた――そして、この本が彼による「突発的な」「瞬間的な」着想・着眼をあつめた本であることに思い至ったのだった。ぼくは無意識、つまり目に見えないけれど実に深いぼく自身の思念の海の中から、考えがくっきり形になるのを待つ必要があるのだと思う。

このことに注意深くなる必要がある――だんだんぼくは観察者として(つまり「何様」な立場で)人の考え・アイデアを批判し始めている。FacebookやX、LINEで……人の考えをこき下ろしている。彼ら・彼女たちはバカだとか何もわかってないとか。明白な事実、火を見るよりも明らかなこととしてそんな批判・揚げ足取りは何も生み出さない。敬愛し畏敬の念を抱く先人たち・先輩たち(たとえばまさにぼくにとって、ウィトゲンシュタインはそうしたすごい人であり続けてきている)。ぼくはぼくの問題、ぼく自身の原初の話題に向き合わないといけない。でも、それは何か。

昼食を摂り、少し昼寝を楽しんだあと実に退屈な時間を過ごさなければならず、何も刺激的なことが起きそうになかったのでまたグループホームの部屋を出て外に行った。書店に行き、そこでガイ・ドイッチャー『言語が違えば世界も違って見えるわけ』という本を見つけた。さっそく買う。ああ、今年いったい何冊読んだことか。でも、おわかりのようにぼくはたくさん読むことが賢いこと、威張れることだなんてこれっぽっちも思わない。少なくともぼくにとっては、「ゲームもしない、おしゃべり(雑談)も相手がそもそもいないからしない(恋人いない歴48年!)、だから本を読むしかない」というのが無味乾燥な事実なのだった。

夜に、青山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』をサラリとめくる。この本は問いかける。「どうやってぼくたちはそれぞれの幸福の意味を定義づけうるのだろう?」。ぼくはどうこの問いに答えるべきか。とても上品で紳士的な問いであり、この本の真摯にしてていねいな議論を満喫できた。この問い(ちぢめれば「幸せってなんだっけ」という古典的な、でもあなどれない問い)は難題でゆえにかんたんに答えは出せない。もっと上昇志向を得てすごいものを掴み幸せになるべきだ、という事実がある。でも同時にぼくはいま持ち合わせているもので満足しないといけないという事実もある。実にナイスな試みが結実した本で、この問いに考える礎をもらったとホクホクしてしまった。