今朝、ぼくは島田雅彦『君が異端だった頃』を読み始めた。このストーリーにのめり込んでいけばいくほど、ぼくは自分の十代の日々の思い出に耽溺することとなった。面白いとは言いがたいあの日々(少なくとも、島田雅彦の小説ほどの面白さはない)。あの日々、ぼくは人生やこの世界に絶望していた。思い出せる。
過去にぼくは島田雅彦のこの小説や村上春樹の傑作のような青春小説を書こうとした。でもできなかった。たぶん、あの日々はぼくにとってつらい味わいに満ちた日々だったからだ。あの頃、ぼくは自分のオリジナル小説を書こうとした。でも続かなかった。高校にはクリエイティブ・ライティングのための文芸部があったが、ぼくは本を読むことに終始した。村上春樹やポール・オースターなどなどだ。
あの頃ぼくがもし東京に住んでいたら、どんなことが起こったのだろう。この不毛な人生はどう変わっただろうか。「インターネット以前」の日々。この世界がこんな風にグローバルあるいはユニバーサルに変化するなんて思いもしなかった。音楽を自由に聴ける生活にあこがれた。それはある意味叶った。Spotifyでぼくはいまデヴィッド・ボウイを聴いている。
怒りがぼくの中にあった。大きな怒りの感情だ。なぜ両親はこの不毛な田舎町に耐えられるのだろう。責めたかった。環境はとても不条理だった。いま、ぼくあこの土地を楽しめる場所、過ごせる居場所として受け容れられる。
ぼくは何かを書こうとしただろうか。インピーダンスがささやくままに……思い出せない。ぼくは本を読んだ。草稿であれ作品を書き残すような蛮勇を持ち合わせていなかった。33の時、最初の小説を書いてみた。その後、オリジナル小説を書くことを試みた。ゴミだと思う。ぼくが書いたものであるのだけど。
そして、湾岸戦争を思い出す。あの戦争がぼくの国際感覚を鍛えた。30年間ほどで何か変わっただろうか。何も変わっていないように見える。