跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/10/09 BGM: Beck - Where It's At

今日は遅番だった。こないだ実家に戻っていた時、ふといかりや長介『だめだこりゃ』という自伝が本棚にあるのを見かけた。読む余裕もなかったので読まなかったのだけれど、いかりや長介がこの自伝の中で自分の人生について「なりゆきまかせ」と語っているのを知りそこからぼく自身の人生についても「そう言えば、実に『なりゆきまかせ』だったなあ」と思ってしまったのだった。言い換えれば、わき道へずっと逸れていきそのうちにそもそもどこに行きたかったのかも忘れて道草ばかり食っている人生、ということになろうか……10代ぐらいの頃はそれでも「本に関わる仕事をしたい」とか「小説家になりたい」といった実に他愛のない、夢想のような夢・目標があった。でも、いつの間にかそんな夢も忘れてしまい酒でグダグダになってしまった20代・30代を迎えた。夢どころか「自分は40まで生きられれば本望だ」「酒で死ねたらもう言うことはない」とまで思い詰めて、実際に自殺未遂までして……決してカッコいい人生ではなかったけれど、でもいまこの地点から振り返ってみると「悪くない」人生だったとも思うのだった。そしていま、そんな「なりゆきまかせ」の人生、ある意味では「他力本願」の人生を送った帰結としてたくさんの友だちに恵まれて幸せな生活を過ごせていると思う。己の僥倖を噛みしめてしまう。

実家から持って戻ってきた本の中に三木谷浩史『たかが英語!』がある。この本は楽天が社内公用語を英語にしたその経過について書かれている(10年ほど前の古い本で、それゆえにそのことを「割り引いて」読む必要がある。でも、いまでも実に面白く読める)。ぼくはこの「社内公用語を英語に」というマニフェストを知った時に「まあ、それは一企業が勝手にやることだろう」「ぼくとは関わりのないことだ」と高を括っていた。でも、いまになって虚心に読むとこの本はいまなお示唆に富むポイントを示していると思うし、問題をあからさまにしているとも思う。英語が公用語となって、「英語を日本語に(あるいは日本語を英語に)翻訳する」という「ワンクッション」を挟まずスピーディーにコミュニケーションを行うことが可能となる状況について、その意義が極めてクリアに語られている。この本を初めて読んだ10年前はぼくは「結局、これからは『英語の時代』、『英語が世界をつなぐ時代』になっちゃうのかなあ」「じゃ、ぼくはどうしたらいいんだろう(留学しないといけないのだろうか)」などと思ったりしていたのだった。まだ英会話教室にも通っておらず、英語学習なんて夢のまた夢と思っていた頃の話である。

いまになってみるとこの『たかが英語!』の主張にはうなずけるところも首をひねるところもある。ぼくが頑固すぎるからか、あるいは時代遅れな人間だからなのか「それでも、日本語ネイティブとしてはベースになる日本語を鍛えるのも大事ではないか」とも思う。三木谷のこの本にはそうした日本人が日本語を駆使して練り上げた文化に対する掘り下げがなく、どこか「英語さえマスターすればOK!」「英語なんてこわくない!」式のオプティミズム楽天主義(まさに「楽天」だから?)が見えすぎているきらいがある。そうしたポジティブシンキングを一概に「斬る」つもりはないのだけれど、しかし危険とも思った。英語をマスターして「世界に追いつけ追い越せ」とせっかちになりすぎてスピードに固執することは、熟慮・熟考して取捨選択する余裕さえも切り捨てることではないだろうかとも思う。その点で、三木谷/楽天式の「とにかく英語」「スピード第一」で「ドラスティックに」改革する姿勢には違和感を持つ。でも、三木谷のような(イヤミではなく)プロのビジネスパーソンからすればぼくのこの見方は「スピード第一のグローバル化においてのんき過ぎる」ということになるのだろうとも思った。だから世の中は面白い。

いまから10年前……まだ酒に溺れており、自分は作家になるのだ、どこかの創作サイトに登録して小説を書いて一発逆転を狙うのだと息巻いていたあの頃。まだ発達障害を考える会との出会いもなかった……その頃のことを思うと、自分自身に対して恐怖と希望を抱いてしまう。それはどういうことかと言うと、「人は変わる」ということだ。ぼくもこの10年で変わった。発達障害を考える会に参加するようになり、そしてそこで英語を褒められたことが縁で英語をやり直そうと考えるようになったのだった。大学時代にアメリカ文学を学ぶところまで行った英語、その後「こんな田舎町で英語なんてくだらない」と思って捨ててしまっていた英語をやり直して……いまやぼくは英語と日本語のみならずフランス語までかじるかかじらないかというところまで来てしまった。哲学的なことがらに興味を持つようになったし、ライフハックを学んで自分の至らないところを直そうと見つめ直す勇気も授かったように思う。「人は変わる」、もっと言えば「成長する」。そうした「変化・成長」があるから人というものは面白い。それはこないだ読んだ宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』でも教えられたことだった。