跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/25 BGM: 平沢進 - オーロラ

今週のお題「苦手だったもの」

今日は遅番だった。朝、日課の入浴と洗濯を済ませ朝食を摂り、そしてイオンに行きフードコートでいつものように詩を書く……と書いてみて、こうして「コツコツ」「不断に」努力するということが昔はまったくできなかったことを思い出した。思えば受験勉強の時期から「促成栽培」「短期決戦」で、やってみて即座に・速攻で結果が出なければそれでもうあきらめるというのが常だったのだ。だから今のような、成果が出ようが出まいがとにかく地道に・着実に日々努力するということができるようになったのは「苦手意識を克服した」ということなのかなと思う。「またその話かよ」と笑われると思うのだけれど、そんなふうに異様に「あきらめが早い」性格は発達障害のせいとしか考えようがない。だが、ならそんな発達障害という特性を持っており関心のあることには異様に食いつく反面、関心のないことはまったく一顧だにしない人間がなぜ「とにかくコツコツ」「あわてずあきらめず」で努力できるようになったのか。それは多分に過去に長編小説を書いてみてその執筆の過程でリズムをつかんだからだろう。カクヨムで原稿用紙200枚くらいあるものを半年くらいかけて書いて、結局それは無惨な大失敗に終わったものの「日々少しずつ積み重ねていく」ことを学んだのだと思う。

それに加えて、ぼくは断酒会にここ8年ほど通っていてそれでそこで「その日その日、あせらず少しずつ成果を積み重ねる」「例会出席を繰り返して身体にリズムをなじませる」といったことを学んだのかもしれない。毎日少しずつ書いていくことを、頭だけではなく身体でも同時に学んだというか会得したというのか……そう考えていくとぼくとは「肉体派」「体育会系」の側面もあるのかなとも思う。いや、スポーツなんてぜんぜんできないのだけれど、そのようにして苦手だった「毎日の努力」を克服できたのは身体をも踏まえたものの考え方ができるようになったからかな、と思うのだった。今日も執筆しながら「ヘレン・ケラーが初めて『ウォーター』という言葉に水の概念を見出した日とはどんな1日だったんだろう」とか考えたのだけれど、書いていくとぜんぜん違う詩が出来上がってしまった。ここ最近すっかり意識の外にあったカート・コバーンのことを思い出し、彼が最後に銃を手に取り自分に向けて引き金を引いた時のことを想像してしまった。そういうこともあるから詩作は面白いとも言えるのだけれど、肝心な「で、そんな詩のどこが面白いんだろう」という問題については黙らざるを得ない。ぼくがあまりペラペラしゃべるのも気が引ける。

思い出した! 詩を書く前、図書館に行ったのだった。そしてそこで現代詩文庫の『田村隆一詩集』『鮎川信夫詩集』を借りた。それも忘れずに書いておきたい(ただ、時間がなくページを開きもしなかった)。そして詩を書いてしまうと自分の中のすべてを出し切ったような気になる。いつも頭の中のゴミを吐き出しているような作業としてぼくの詩作はある。ヘンな妄想なのだけれど、例えば眼の中や脳の中に生活していて目にした光景・事物、読んだ文章などがゴチャゴチャしたゴミとして溜まっているようなそんな気がするのだ。科学的にはそんなことは絶対にありえないのだけれど、ともかくもそんな思い込みから「処理しなければ」と思ってアウトプットする。その作業をしないと頭がおかしくなってしまうから……だけど、書き出して吐き出すとそんな「書くこと」それ自体が自分自身の考えをゆがめるようなそんな気もしてくる。いや、難しい話ではない。メモを書いたりスマートフォンの画面をフリック入力していて「こんなことを考えていたのか」とびっくりすることはぼくはしょっちゅうで、そんな自分の潜在意識と対話することでこの自覚・認識している意識そのものが変容していくということだ。だから書くことは恐ろしいとも言えるし面白いとも言える。

仕事に入る。今日は健康指導があったり、ジョブコーチの方とのミーティングがあったりで忙しい日だった。ジョブコーチのその方とこうしてお付き合いさせてもらうようになってどれくらいの日が経つだろう。いつもその方と話していると「ぼくのために怒ったり、ぼくのことで笑ったり泣いたりして尽力して下さっている」という印象を受ける。それがとても励みになる。今日のミーティングではそろそろバイクを買い替える話や職場での人間関係の話、契約面談の話などになった。思えば「食うため」「仕方なく」会社で仕事を始めたあの頃、ぼくときたら「会社から給料・報酬をもらって仕事を与えられる」ことの意義・意味をわからず腐っていたっけ。「こんな会社の片隅で自分は干からびていくのか」と身のほど知らずなことを思って……でも今は自分が与えられた持ち場というかポジションで、全力は無理だと思うので8割ほどの力でほどほどにリラックスして仕事を楽しめたらと思っている。休憩時間に松下育男のnoteの記事を読む。これについても時間が取れたら自分なりに思ったことを書きたいと思う。松下育男の書いたものはここ最近自分にとって、あたかもカフカリルケのメッセージのように心に沁みるのを感じている。

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