跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/08/14 BGM: Simon & Garfunkel - Scarborough Fair / Canticle

今日は遅番だった。台風7号が近づいているということで、前に英会話教室に通っていた時に友だちが作ったLINEグループにその話を投稿する。すぐにリアクションが来る……こうして自分の中から何かを書き出すこと、シェアすることの醍醐味について考えてしまった。昨日「イタラジ」に参加させてもらったこと、あるいは断酒会の知り合いがFacebookに自身の行き詰まりについて投稿しているのを読んだこともあったのかもしれない。自分の中でイノベーティブなアイデア、あるいはどうしようもない鬱屈を溜めてしまっていてもその思いは「こじれる」だけだと思った。ならば、それを外に出すことで解決・快復への足がかりがつかめるのではないか。そんなことを考え、ふとぼくの知り合いでYouTubeで積極的に動画を発信している方のことを思い出した。その方はミュージシャンでもあるので、彼の音楽とぼくの詩のコラボレーションの可能性を試すという話が盛り上がっていたのだった……それをふと今日、形にできたらと思いLINEを送る。さっそくその方とLINE通話で話すことが決まり、今日は仕事に入らないといけなかったのでまた後日ということになった。いったいどんな話になるのだろう。

午前中、いつものように詩を書く。詩を書いていると、想像力についてあれこれ考えてしまう。自分の中から「軽々と」というか「すんなりと」というか、時にこちらの予想・予測を超えてポンと出てくる言葉に驚いている。今日の詩では「パンゲア大陸」という言葉に驚いた。あらためて自分の中にはほんとうに面白い言葉が眠っているのだなと感心してしまった……ということも先述したコラボで話せればいいなと思った。「イタラジ」で自分の自伝的なこと、回想録的なことをあれこれ語ってしまったのだけれど最近はそうして「過去語り」「自分語り」に取り憑かれたようになっていて、今はそうして「暫定的に」「とりあえず」自分の過去を整理し直してそこからさらに前へ進む足がかりについて考えるというのがぼくの生き方になりつつあるようだ。過去、酒に溺れていた時にずっと後ろ向きに生きていたのを思い出す。「いじめに遭った」「発達障害でつらい思いをした」ということに肩まで浸かってしまい、その後悔・苦悩から抜けられなくなって……確かに過去は大事なことではあるのだけれど、ぼくは未来に向けて歩きたい。いつか自分の詩集を出せたら(自費出版や同人誌、Kindleという形ででも)。

それで昼食を摂る。台風の影響もあってバイクで通勤することもできなかったので、したがってたくさん本を持ち歩くこともできず今日は谷川俊太郎『二十億光年の孤独』と永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』だけを携帯していた。そこから『二十億光年の孤独』を読む。あらためて「すごい詩集だな」と思った。これは単純すぎる褒め言葉かもしれないが、まったく古さを感じさせないエヴァーグリーンな味わいがあると思った。谷川俊太郎のことを(前にも書いたと思うのだけれど)単なる大衆に媚びた、下等な詩人と思っていた時期もあったのだけれど今は彼がそうしてポップな詩というか軽く読める詩を書き続けていることに惹かれる。「イタラジ」でも少し語ったのだけれど、ぼくは文学でも大江健三郎中上健次に代表される伝統的な文学というか崇高な芸術のオーラを持つ文学ではなく、もっと「乾いた」「軽い」文学に惹かれるようだ。それがぼくの中の村上春樹への憧憬あるいは高橋源一郎への畏敬の念といった感覚へとつながるのだろう。ひと口で言えばそれはアンディ・ウォーホル言うところの「ポッピズム」を尊重するということになる。たぶんそんな理由からぼくはフォークナーやジョイスといった書き手ではなく、もっと「軽い」書き手に共感するのだ……リチャード・ブローティガンのような。

そんな感じで、ぼくの「変わり者」「ヘンクツ」なところに自分でもあきれてしまった。下手をすると(特に詩作に入り込んでそこから抜け出せなくなってしまったりすると)、「空はどうして青いのだろう」「海の水はどうして塩辛いのだろう(海の水を甘くするには砂糖をどれくらい入れたらいいのだろう)」とか、ヘンテコリンなことを考え始めてしまう。夜、塩分チャージタブレットを舐めながら詩の清書をして……ぼくは飽きっぽいわりにこうして1つのことにハマると食らいつく性分みたいなので、そんなヘンテコリンな考えを固める方便・手段としてこれからも詩作は続けるのだろうなと思った。くだんのYouTuberの方の表現の動機はどこにあるのだろう、と考える。そして1人1人の中にその人の生きた人生があり、体感した時間がもたらした経験がありその経験が作り上げた自我・個性がありうるということを考える。ぼくがぼくであるのと同様に人は人である……そんなことを考えたらその個々人の個性・固有性のかけがえのなさ・貴重さについて、そして神秘について打ち震えてしまった。いや、いちいちそんなことを考えているととても生きていけないわけだけれど、ぼくはそこを「スルー」「素通り」できないのである……。