ボーナスが入ったら金子光晴かあるいは松下育男の本を買おうかと思っていたのだけれど、石川浩司『「たま」という船に乗っていた』の増補改訂版を買い求めるのもいいかなと思い始めた。今月末、木曜日(たぶん31日)にぼくが友だちと行っているミーティングでプレゼンテーションを行う機会があるのだけれど、その際に「たま」の話をするのもいいかなと思ったのだ……といってもぼくは実は「たま」について実に「浅く」「あっさり」としか知らないのである。ぼくは兵庫県で生まれ育ったので「イカ天」に代表されるバンドブームも間接的にしか知らない(「イカ天」はぼくの住む地方では放送されていなかった)。そして、10代半ばのぼくと言えばまだビートルズすらも知らず、ただ佐野元春とブルーハーツと種ともこを愛好する鼻垂れ小僧でしかなかった。調べると、1989年(つまりぼくが14歳の歳)に彼らはその「イカ天」に出演したという。そこで、彼らは「らんちう」を歌いそこから快進撃を始めた。「さよなら人類」「オゾンのダンス」といった曲を歌い、そうした曲は次第に社会現象とまで呼べるほどのうねりを生み出していくこととなった。ぼくのCDラックにも彼らのアルバム『さんだる』(これは今でも持っている)や『ひるね』があったくらいだから、相当な現象だったことがうかがえる。
14歳の頃といえばそんな感じの鼻垂れ小僧であり、だから彼らをロック史やポップ史に社会学者よろしく位置づけるなんてことはできやしない。注意深く聞けば彼らの音楽はビートルズに代表される海外の革新的な音楽や日本文学の残響を聞き取ることができる。つまり、彼らは突然変異体ではなく「正統な」「まっとうな」ロックの破壊王であり継承者……というのは大げさかもしれないけれど、ともあれ実に敬虔な表現者だったのではないかとぼくは思っている(異論を歓迎したい)。だけど、こんなふうにしたり顔で語れるのもぼくが実にすれっからしのおっさんになってしまったからである。当時はこんなことわかりっこなかったので、彼らの曲を聴いた時はのけぞってしまったものだ。「とんでもない人たちが現れた」「一大事だ」と思った。これはつまり、「言葉にしようのないもの」「簡単に言葉にできないもの」がいかに強いかということを示していると思う。そして、ぼく自身彼らの音楽を何とかしてぼくの貧しい語彙を駆使して言葉にしようとしてあくせくあがいたものだ。彼らの1曲1曲の中にストーリーを読み取ろうとした。ぼくが考えたストーリー……おそらくそれらは宮澤賢治のような書き手の書く童話・寓話のできそこないでしかなかったのだけれど。
今になって『さんだる』を聴き返してみて、やはり「どの一節を切り取っても『たま』としか言いようがない個性」に打たれてしまう。それは、ビートルズの名曲群が「安定したビートルズ印」で成り立っているのと同じだ。これも異論・反論あると思うけれど、ぼくはビートルズが世界最高峰のバンドかというとやや違った考えを持っている(ぼくはひねくれ者なので「いやぼくが思うに初期のピンク・フロイドやXTC、あとブライアン・ウィルソンだって同じくらいすごいよ」と言いたくなるのだった)。だけど個性ということで言えば「たま」やビートルズにはこちらを唸らせ、黙らせる強烈な「におい」があると感じる。それは言葉にして解析したとしてもついに脱臭できないような「におい」だと思う。そんなことを考え、ぼくなりに彼らの曲を聴き込み歌詞を読んで考えたことを(ムダな抵抗ではあるにしても)言葉にしたいと思った……ところで、その「たま」を「日本のビートルズ」と呼ぶ人もいて面白い。いや音楽性は上に書いた通り確かにビートルズ的だなと思うけれど、彼らの唯一無二の佇まいはむしろ……誰になるのだろう。ロバート・ワイアット? いや、これ以上掘り下げると「知ったか」がバレるので止めておこう。
今日は早番だった。仕事をして、昼休みに詩を書く。今日書いていて、ふと『メジャーリーグ』という映画のことを思い出した。久しく見直したことなんてなかった映画だけど、こうしてぼくの頭の中の「冷蔵庫」「冰箱」の中からそんな変なものが出てきてしまうというのがぼくらしいというか、いやはやなんとも。帰宅後あれこれしていると眠ってしまい、結局フィリップ・フォレスト『さりながら』を80ページほど読みそこで今日の読書は終わってしまう。フィリップ・フォレストの筆致は小林一茶をめぐる記述から夏目漱石へと至り、ぼくもそのような表現者たちが生きた時代や彼らがその内面的葛藤の中から生み出したものについて考えたくなってきた(ぼんくらなので、岩波文庫で一茶の『おらが春』を読めることを知らなかった)。その一方で上に書いたように「たま」の『さんだる』を聴き返し、これは「名盤」(ぼくの基準では「90年代のベスト50」には入るほどの)ではないかなとも思い始めた。ぼく自身は気に入れば何でも聴くので(だからBUCK-TICKや小室サウンドだって素晴らしいと信じて疑わないし、四六時中ではないにせよ聴く時は聴きます)、だから音楽のテイストに関してはアテにされても「こまっちゃうナ」なのだけれど。