跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/14 BGM: 大江千里 - APOLLO

梅雨だからなのか、今日は自分の中で何かが腐ってしまったような1日だった。朝起きて、それからいつものように入浴と朝食を済ませる。それから二度寝をしてしまい、その後昨日の日記を書く(これもぼくにとって大事な日課だ)。休みだからなのか実にだらけた朝の過ごし方だ。正直、何もかもめんどくさくなったがそれでもぼくは日課をこなす。習慣の力とはおそろしいもので、こうして習慣を続けると気持ちも上向いてくるものだ。その後10時半から英語関係のミーティングにZOOMを通して参加する。今回のミーティングでは、インドの方が日本語を学んでいるという話から彼の使っている教科書である『やさしい日本語』に実際に触れ、そこからそのテキストを英訳することを試みる。ホストの方や他の参加者の方もぼくに対してウェルカムで迎えて下さったので、実になごやかな時間を過ごすことができてありがたかった。こんな空気に触れるとぼくは過去にずっと「鼻つまみ者」だったことを思い出してしまう。学校の狭苦しいクラスの中でぼくはずっと「異端」であり「嫌われ者」であり、ゆえにぼくは死んだふりをして吉本ばななの本を読んだりして過ごしていた。そんなことをふと思い出してしまう。

昼にとある方とお会いする機会があった。その方はぼくの健康をずっとチェックして下さっているのだけれど、その方の指導で今日も体重と血圧を測る。「理想的な体型ですね」と言われて、過去に「メタボリックですね」「油物は控えなさい」「酒も止めなさい」とまで言われるほど小肥りだった体型に悩んだぼくはヘンな気持ちになってしまった。身体にいいことをしている自覚なんてない。強いて言えば仕事でたくさん動き汗をかく、それが「効いて」いるのかなとは思う。過去にこうして健康を診てもらっていた頃、どんな風に医師に不健康を指摘されても「健康に生きて何になるんだ」「長生きなんてクソ食らえだ」と居直って酒に溺れていた日々を思い出す(むろん過度の酒が健康にいいわけなんてないのだった)。「酒に酩酊して、何もかも忘れて死ねるなんてこんなステキな死に方はありえない」とまで思い詰めて……そんな日々を思うと、今朝のZOOMでのミーティングも含めて今がほんとうに「信じていいのかな」「アンビリバボーだ」と思えるほど幸福に感じられる。あるいはこれは夢なのかもしれない……ああ、人生とは不思議だ。

それで、そんなふうに実にだらけたというか腐った1日だったせいで読もうと思っていた大江千里のエッセイの読書もはかどらず、英語の勉強も「まったくもって」「完璧に」サボってしまった。今度の日曜日に行うミーティングでぼくは「ぼくが楽しんでいる英語関係の活動」について話せたらと思っているのだけれど、その資料も作れなかった……そのミーティングは発達障害に関するもので英語とは無関係なのだけれど、英語を学ぶ・学ばないは一旦脇に「おいといて」ぼくが語りたいのは「自分を閉ざさず、『外』に活路を見出すことで思わぬ世界が拓ける可能性がある。ダメ元でやってみよう。」ということだ。現にぼくはひょんなことから海外の人とつながることができ、そこからぼく自身の価値観を広げることができた。でも、誤解しないでほしいのだけどぼくは「だから英語はマストだ」「できないのは努力が足りないからだ」とは言うつもりはない。そうして「英語を学べ」と「押し付け」る風潮は逆に英語アレルギーを生み出すとさえ信じている。ぼくが言いたいのはつまり、比喩的な言い方をすれば自分自身の心の「窓」を開けておいて新鮮な空気を取り込む努力を試みること、そしてノリで動いてみることだ。ぼくが午前中のミーティングに参加する機会を得られたのも結局はその「ノリ」だったからだ。風が吹くままに。

夜、断酒会に行く。そこでぼくは日曜日に見学した日本語教室の話をする。真剣に日本語を学んでおられた方の努力に触れて、生活・仕事のために人生を生き抜こうとしている人がいることに心打たれる……そこからぼくも「自分の人生を生きること、そして英語を学ぶことに精一杯取り組まねば」と思ったのだった。そんなことを話した。ああ、かつて(上にも書いたが)ぼくは自分の健康や「言葉が通じる環境」「安全に暮らせる環境」を実に「持て余して」いた。そしてそんな環境に暮らせているというのに考えていたことといえば実に「もうこんな人生まっぴらゴメンだ」だった。何もわかってなかったなあ、と思う。これからぼくもどんどん年老いていく。衰えていく。子どもどころかパートナーもおらず、孤独に気ままに生きる人生。でも、ぼくのところには「あなたはクールだ」「英語がステキですね」と言ってくれる人が現れ、慕ってくれる人さえ現れているのを感じる。過去に思いっ切り嫌われたり、かと言えばこうして幸せを感じられたり……長い目で見れば「プラマイゼロ」で「公平に」できているのがぼくの人生なのかなあ、と思ってしまった。